嘉慶二年(一三八八)三月十五日の「武蔵惣社般若会願文」は、武蔵国惣社六所宮で行なわれた般若会の願文であるが、「依恒例、勤行如右」とあるようにこの法会が年中行事であったことが推測される。この時、「大頭左衛門少尉藤原光忠」が法会の主催をつかさどったものと考えられる。「大頭」は、頭役のことで近隣の有力在地領主や在庁官人系の人々が順番にこの役を勤めていたのであろう。
「武蔵惣社般若会願文」
卌(四十)七 敬白 当国惣社般若会願文也、
奉修善根事、
奉転読 大般若経 一部六百巻
奉読誦 一乗妙法蓮経 六部
奉講読 諸社二往講
即宮 一宮 八幡宮 天満宮 坪宮 宮目 雷電宮 日吉社 賀茂宮
奉勤行十種供養歌舞儀式荘厳等、
右、奉為六所大明神并天衆・地類法楽荘厳、依恒例、勤行如右、
(中略)
嘉慶二年三月十五日
大頭左衛門少尉 藤原光忠
正長二年(一四二九)四月八日の「武蔵惣社大般若経施入発願文」は、武蔵国惣社六所宮に大般若経を施入する時に起草されたものであるが、この施入には武蔵国目代大石憲重が助成していた事が特に記されている。憲重は、武蔵国守護上杉憲実のもとで武蔵国目代として国務の実務を担っていた。憲重には、自らの信仰心もあったであろうが、惣社六所宮に結集する在地領主層を把握するためにも必要な作業であったのであろう。
また、応永十九年(一四一二)の「武蔵二宮法華経開板施入勧進状」は、勧進僧運祐により法華経の印板を作成し、武蔵国二宮に施入するために起草された勧進状である。ここからは、中世の多摩郡において経典の木版印刷が行なわれていた事がわかる。このほか、立川市の普済寺では『大方等大集経』が、八王子市の広園寺では禅宗の代表的な語録である『無門関』が開板されている。
図5―58 大国魂神社(府中市)