結城合戦

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永享の乱が終息した後も関東内乱の火種は残っていた。永享十二年(一四四〇)三月四日、日光山(栃木県日光市)に落ちのびていた持氏の遺児安王丸・春王丸が、常陸国木所城(茨城県岩瀬町)に拠って挙兵したのである。三月二十一日、安王丸・春王丸は、下総国の結城氏朝に迎えられ、結城城(茨城県結城市)に入城した。この動きに対して幕府は直ちに追討の御教書を発給し、関東管領上杉清方が結城城に兵を進め、結城合戦が開始された。結城方はよく敵を防いでいたが、嘉吉元年(一四四一)四月十六日結城城は陥落した。そして、結城氏朝は自害し、安王丸・春王丸は捕らえられ、結城合戦は決着を見た。安正丸・春王丸は、京都に移送される途中、美濃国垂井(岐阜県垂井町)で殺害された。