図5―67 堀越御所庭園跡(静岡県韮山町)
ここにおいて関東の勢力図は、下総古河の古河公方、上野・武蔵を中心とする上杉氏、伊豆堀越の堀越公方の三者が鼎立(ていりつ)する状況となった。従って多摩市域は上杉氏の影響下に置かれたのであるが、この上杉氏の勢力範囲内も武蔵五十子を拠点とする関東管領山内上杉氏と長尾氏が上野・北武蔵を、武蔵河越城を拠点とする扇谷上杉氏と太田氏が南武蔵と相模を主として勢力下に置いていた。しかし、山内上杉氏と扇谷上杉氏の内部はともに家宰の長尾氏・太田氏が握っていた。このため上杉氏勢力下の国人たちは、長尾氏あるいは太田氏に結集する傾向を見せていた。この構図は、のちに両上杉氏が対立する危険をはらんでいたのである。