従来『当社記録』は、外方供僧の長老香蔵院珍祐の日記と理解されており、その名称は『香蔵院珍祐記録』とも称されていた。しかし、『伊勢原市史』では、この記録が珍祐ただ一人で記されたものではなく、外方供僧衆会の際、会所になった坊により書き継がれており、史料名を『香蔵院珍祐記録』ではなく、表題通りの『当社記録』にするべきだと主張されている(伊勢原市一九九一)。ここでもその説を受け入れて『当社記録』と表記する。しかし、珍祐の性格にもよるのか、この記録に積極的に多くの文章を載せていたのも珍祐であることは間違いない。
伊勢原市史編集委員会『伊勢原市史』古代・中世資料編、一九九一年