『当社記録』

700 ~ 701
鶴岡八幡宮の中世史料は、在地・村落関係の情報を提供してくれる関東では数少ない史料群である。その中でも『鶴岡事書日記』や『当社記録』は、武蔵国佐々目郷や上総国佐坪郷などの在地の動向を豊富に含んでいるが、特に『当社記録』は、吉富郷関係史料の中でも最もまとまっているものでもある。しかし、残念ながら『当社記録』の原本は残されておらず、写本として国学院大学図書館所蔵の黒川本、静嘉堂文庫所蔵の静嘉堂文庫本、島原市立島原公民館所蔵の松平文庫本が残されている。なお、国学院大学の黒川本以外は、上下二冊のうち上を欠いている。
 従来『当社記録』は、外方供僧の長老香蔵院珍祐の日記と理解されており、その名称は『香蔵院珍祐記録』とも称されていた。しかし、『伊勢原市史』では、この記録が珍祐ただ一人で記されたものではなく、外方供僧衆会の際、会所になった坊により書き継がれており、史料名を『香蔵院珍祐記録』ではなく、表題通りの『当社記録』にするべきだと主張されている(伊勢原市一九九一)。ここでもその説を受け入れて『当社記録』と表記する。しかし、珍祐の性格にもよるのか、この記録に積極的に多くの文章を載せていたのも珍祐であることは間違いない。
  伊勢原市史編集委員会『伊勢原市史』古代・中世資料編、一九九一年