村民にとって世間とはまず村であり、世間のつきあいとは村のつきあいであった。
江戸時代に名主や組頭といった村役人を勤めた家々の所蔵文書のなかに、「村入用帳」という帳面がある。村を運営維持し、村民が村という共同組織を通じて生活し、生産していく際に必要な諸経費を、一年ごとに書き記した帳簿である。経費の費目は、村役人の給料、宿泊費・交通費やその小遣いなどを含む出張費、村役人および惣百姓の寄合いに必要な会合費、筆・墨・紙など文具代から、土木・水利の普請や治安のための入用・人足賃などのほかに、鎮守の祭礼や雨乞いといった村全体でかかわる宗教行事の費用、伊勢や鹿島の御師など布教者や座頭・瞽女(ごぜ)を含む旅芸人への喜捨銭なども入っている。
村民が負担する金額は年によって異なり、田畑・屋敷の持ち高によって割り付ける高割と、全戸平均に割り当てる軒別割とがある。基本的な経費は高割で、宗教行事など臨時的な要素の強い経費は軒別に割り当てている場合が多くみられるが、宗教行事のうち、例えば鎮守の祭礼は軒別割で、雨乞いは高割で割り付けられている。鎮守神を奉祀し、無事を感謝する祭礼は、村と村民全体に平等にかかわるが、雨乞いによる利益(りやく)は田畑の持ち高にかかわるという認識が見られ、村入用の割り当てには、全体的に受益者負担の原則が貫かれている。
また、例えば村の幹線の道普請や橋普請、用水浚(さら)い・藻刈りなど、村全体のための共同作業には全戸が出て行った。しかし、その他の場所の場合には、直接の受益者同士が集まって作業することも多くみられるように、用益を同じくする者の組合、冠婚葬祭や農作業における相互扶助の講など小地区を単位とするもの、若者組や一定年齢以上の女性が加入する念仏講など年齢別に構成される集団、また何かの購入や建築あるいは金融を目的とする無尽講など不特定の村民によって構成される集団、さらに伊勢・善光寺・大山など寺社参詣を目的とする講集団もつくられていた。