祝儀 婚礼の場合

923 ~ 925
石阪家に残されている婚礼の節の祝儀帳は、天明四年(一七八四)から安政四年(一八五七)までの一〇冊があり、表6―27は、その際贈られた祝儀を貨幣と現物を項目別に分類したものである。祝儀の件数は、貨幣と現物それぞれ二三三件と二四八件で、持参者は寺院や若者組など諸集団もひとりと勘定して二四四人であるから、九〇パーセント以上が二種類の祝儀を持参していることになる。
表6-27 石阪好文家婚礼祝儀項目別分類表
項目 貨幣
青銅 件数 文換算計
No. 西暦 年号 対象者 100文 200文 300文 10疋 20疋 30疋 40疋 50疋 100疋 1朱 2朱 小計 百分比
1 1784 天明4.12 伊久八・(喜代) 1 16 17 7.3 3300
2 1810 文化7.3 品太郎・(晴) 2 32 34 14.6 6600
3 1819 文政2.11 伊三郎 3 6 1 1 11 4.7 2500
4 1830 文政13.3 16 1 17 7.3 3450
5 1835 天保6.11 伊三郎 1 32 1 1 6 3 44 18.9 10200
6 1837 天保8.2 茂七 7 1 1 1 10 4.3 3150
7 1837 天保8.12 1 22 2 1 2 1 29 12.5 7100
8 1838 天保9.1 いそ 3 2 5 2.1 1000
9 1845 弘化2.2 かね 6 1 7 3.0 1700
10 1857 安政4.4 戸一郎・(りや) 2 47 4 6 59 25.3 12300
件数計 2 63 4 8 126 3 1 1 2 16 7 233
同百分比 0.9 27.0 1.7 3.4 54.1 1.3 0.4 0.4 0.9 6.9 3.0 100%
文換算高計 200 12600 1200 800 25200 900 400 500 2000 4000 3500 51300
同貨幣種別計 14貫文 29貫800文 7貫500文
同百分比 27.3% 58.1% 14.6%
 
現物 貨幣・現物共 祝儀持参者数
菓子 扇子 手拭 衣類 元結 掛軸 他不名 件数 件数 集団 寺院 百分比
樽1 1升 小計 百分比 合計 百分比
12 12 4 1 1 30 12.1 47 9.8 15 2 2 19 7.8
10 1 28 4 1 1 45 18.2 79 16.4 33 3 2 1 39 16.0
11 1 2 14 5.6 25 5.2 11 2 2 15 6.1
17 17 6.9 34 7.1 15 2 17 7.0
28 2 1 31 12.5 75 15.6 46 3 1 50 20.5
1 9 2 1 13 5.2 23 4.8 11 11 4.5
22 3 25 10.1 54 11.2 21 5 1 27 11.1
3 5 8 3.2 13 2.7 8 8 3.3
7 7 2.8 14 2.9 7 7 2.8
4 51 1 2 58 23.4 117 24.3 46 4 1 51 20.9
26 4 1 190 17 2 4 1 1 1 1 248 481 213 7 16 8 244
10.5 1.6 0.4 76.6 6.9 0.8 1.6 0.4 0.4 0.4 0.4 100% 87.3 2.9 6.5 3.3 100%

 貨幣による祝儀は、銭は一〇〇文から三〇〇文、青銅は一〇疋から一〇〇疋まで、金貨の場合は一朱か二朱で、銭二〇〇文または青銅二〇疋が件数全体の八〇パーセントを占め、年代による変化はみられない。葬儀の香典と同様に婚礼の祝儀の金額にも、地域の社会通念にいたる情報がもたらされていたのであろう。婚礼一度の祝儀の額は、文に換算して最低一貫文から最高一二貫文までの開きがあり、全体では五一貫文を上回る。うち「青銅何疋」と記帳された祝儀の合計が三〇貫文に近く、五八パーセントに上っている。前述したように実際に包まれた貨幣は銅銭か金銀貨であったわけだが、記帳の仕方は不祝儀の場合と異なり、「青銅何疋」と儀礼的な表記法をとっている場合が多く、これが天保八・九年頃まで続き、以降は「銭何百文」と記帳されるようになる。金貨は文政期ごろからみられ、合計七貫五〇〇文、約一五パーセントを占めている。
 現物では紙がもっとも多く、全二四八件中、一九〇件・約七七パーセントを占める。ついで洒または酒樽の三〇件・一二パーセント、扇子一七件・七パーセントが続き、ほかに衣類・手拭い・苧・元結といった日用品から菓子・掛け軸なども若干みえる。
 紙は半紙か植田紙と記されている場合が多い。植田紙とは、信州上田地方で漉いていた鼻紙のことで、一帖七文位、使いの者への祝儀などに日常的に使われていたという。また扇は「末広がり」に通じるとして縁起もよく、杉や桐の箱に入れて贈り物に用いられたが、実用に耐えるような品物ではなく形式的なものであったようで、年代が降るにしたがって次第に使われなくなっている。同様に苧も少量が包まれて祝儀金に添えて贈られている。婚礼の祝儀の場合は、品物は貨幣による祝儀に付けて形式的に贈られるものの占める比率が高い。
 いっぽう着尺や帯など実用的な品物は親類から贈られている場合が多くみられ、酒樽は上和田村の若者中や上和田・中和田村中、あるいは小字の後原・並木中といった年齢や地域による諸集団から贈られている場合がほとんどである。酒樽は文政期以降急激に滅少し、代わって「樽代」として貨幣が持参されるようになる。文政二年(一八一九)の祝儀帳の「買物覚」の欄に「七百文 酒代七升」とみえ、天保六年(一八三五)の祝儀帳には「弐拾疋 樽代壱ツ」・「四拾疋 樽代弐ツ」などとあるから、酒一樽は二升入り、二〇〇文であったことがわかる。
 また婚礼の祝儀にも、祝言をあげる当事者の立場によって、規模に差異がみられる。嫡男の婚儀の規模に比べ、嫡男以外の男子・女子の、婿入り・嫁入りの際の祝儀件数は、平均を大きく下回っている。なお、天保六年と八年の祝儀帳には、嫁とりの結納金に二両出し、嫁入りの結納金は二分受け取っており、仲人へ礼として二分出していることが記録されている。

図6―25 祝儀受納覚帳