多摩市域の村々には古文書とともに多くの書籍が残されている。このことは、村の運営に携わってきた村役人をはじめ、多くの村人たちが読む力、書く力を持っていたことを示している。
村人たちがいつ頃から、どの程度の識字力を有していたのかを明確にすることは、たいへん難しいことであるが、市域に残された書籍を分析することによって、村人たちが読み書きした状況の一端を明らかにしていきたいと思う。
多摩地域では近世中期以降、国学や和歌、俳諧等に対する関心が高まり、学問や趣味を通して新たな人間関係が形成されつつあった。村役人を中心とする学問や趣味の交際範囲は地域を運営していく上での重要な基盤でもあった。俳人たちの間では地縁などによって連が形成され、句会が行なわれていたが、こうした連の構成には村役人層だけではなく、一般の村人たちも多く含まれており、村における識字率がかなり高かったことが示されている。また、村人たちが読み書きを通じて得た知識は、村芝居の演目といった生活の楽しみ、あるいは病気や自然災害に対する知恵に生かされていたのである。