市域の村々には写本もかなり多く残っている。写本を所蔵している家は、ここで分析対象とした一五家のうち九家である。各家に残されている写本の全体の五八パーセントは江戸時代に作成されたものである。作成年代が不明のものもかなりあるが、これらもほとんどが江戸時代であると思われる。分野別にみると、読本・歴史・和算など多岐にわたり、とくに読本・実録が多い。この傾向は刊本の残存状況とほぼ同様であるが、刊本に多い中国古典・日本古典については写本が少ない。写本が読書の一つの方法であった江戸時代において、写本で読む本と刊本で読む本との区別があったものと思われる。読本・実録類の写本の多くは、貸本屋から借りた本を写したものである。実録は過去の歴史事実に仮託してその当時の社会を風刺したものが多かったことから多くの読者を得ており、こうした状況が写本の残存状況にも反映されている。
また、各家で同様の写本を有しているケースも見られる。富澤政宏家が写本で所蔵している『三河後風土記』が杉田卓三家においても写本で所蔵されているのも、その一例である。富澤家の場合、数多くの写本を有しているが、これらの写本作成時期は一定の時期に集中している。富澤家の写本には『難波戦記』・『源平盛衰記』・『慶安太平記』・『武徳三河記』・『天草軍記』・『関ケ原軍記大全』といった軍記物語が多いが、これらのほとんどは寛政十年(一七九八)から文化三年(一八〇六)の間に作成されており、この時期の当主の関心を反映している。伊野弘世家の場合、写本四六冊中一二冊が和算に関するものであるが、これは同家の刊本の残存状況とも一致するものである。同家には当主銀蔵による算法の練習帳も残されており、学習状況も窺うことができる。伊野家の写本には奥書に「日光御役宅在勤中これを写す」という文言が書かれているものがいくつかあり、同家の当主が八王子千人同心として日光勤番中に写したものであることがわかる。八王子千人同心の日光勤番中の動向を知ることができる資料でもある。また、同家が写本で所蔵している『天草軍記』は富澤家・寺沢茂世家にも写本がある。各家の写本の共通性から村人たちの間での本の貸借状況や書物に対する関心の動向を知ることができる。