村人たちが本を入手する機会は様々であった。入手方法としては江戸をはじめ八王子などの市において購入する場合や、村役人の職務あるいは俳諧・花道などを通じて知り合った近隣の村役人から借用する場合、贈答品として利用する場合などがあげられる。特に、村役人層による本の貸し借りは盛んだったようで、書籍の奥書に「此本何之方へ参り候共、御覧の上御返し下さるべく候」との記述が数多く見られる。村役人層が蔵書の貸し出しを通じて情報を提供し、地域において図書館的な役割を果たしていた事例も紹介されている(小林文雄「近世後期における『蔵書の家』の社会的機能について」『歴史』七六)。
多摩地域においては、貸本屋の存在も村人たちが本を手にする重要な機会であったことが確認することができる。江戸において貸本屋は、文化年間には一二組からなる組合を結成しており、利用者は文化期以降、下町に居住する町人層にまで広がり、読本や人情本の主要な読者となっていった。貸本屋は新たな読者を獲得し、板元や作者に読者の嗜好を伝える役割を果たしていた(前掲今田論文)。このような貸本屋の活躍は江戸だけではなく、近郊農村である多摩地域でも見られた。
連光寺村名主富澤家の日記によれば長沼村(稲城市)本屋常吉がしばしば富澤家を訪れていたことがわかる。貸本屋に関する記述は、嘉永三年(一八五〇)から嘉永四年にかけて集中している。日記に見るかぎりでは、貸本屋は嘉永三年に一回、同四年に三回、同五年に三回、同六年に一回訪れている。時期は一月、二月に集中しており、貸本屋が農閑期を中心に村々を廻っていたことがわかる。借りた本の書名や見料についての詳細な記述がないため明確にはしえないのであるが、「十一巻より十五迄返す」といった記述があり、大部にわたる書籍を借りていたことがわかる。