千人同心の存在

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八王子を中心として組織されていた千人同心ではあったが、現在の多摩市域にも数家の千人同心が在住していた。同心の転居・株の売買などにより江戸時代を通じて多少の増減はあるが、市内に残っている資料などから、文政三年(一八二〇)には貝取村の森田勘右衛門、また嘉永四年(一八五一)までは寺方村に佐伯清蔵という同心がいたことがわかっている。
 千人同心の姓名が網羅的にわかる資料としては嘉永七年に千人同心組頭二宮左門太光鄰が作成した資料をもとに、八王子郷土資料研究会が昭和四十六年に復刻した「千人同心姓名在所図表」というものがある(原図には題名がついていない)。この図表では寺方村の伊野弘世家と落合村の小山晶家の二家が千人同心として確認される。以下はこの二家を中心として多摩市域の千人同心について述べてみたい。