江戸時代の村落は閉鎖的なイメージが強いが、それぞれの地域のみで生活が完結しているというわけではなく、瞽女(ごぜ)・座頭・浪人・勧進者・宗教者・芸人・文人・画師・行商人などのさまざまな人たちが来村していた。現在のようにマスコミニュケーションが発達していなかったこの時代の農民にとって、自らが寺社参詣の旅行などをして村外の人々と接触をする以外にも、外部からの来村者との交流によって多くの知識・情報・技術・文化・文物・娯楽などを得ていたのである。
来村者のすべてが歓迎されたわけではなく、金品を強要するだけの虚無僧・浪人などは歓迎される存在ではなかったが、広い世界を知っている来村者の多くは、農民と深く結びつき村の生活・文化に影響を与え、そこに生きる人々にとって不可欠の存在であった。多摩地域の村々にも多くの人たちが来ているが、ここでは瞽女・座頭と浪人について述べてみたい。