浪人もの取締組合の結成

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関東取締出役の人数は当初八名と少なく、村々では自衛的組織をつくる動きがでてくる。旗本領の多い上総・下総の一部の地域では、すでに宝暦・天明期に一〇か村前後の村々が連合して自治的に活動している(川村優「近世における組合村の存在とその性格」『史学雑談』七三―一一)。武州多摩郡においても文化二年(一八〇五)に旗本領の村々が、木曽村を世話役とする一五か村と小野路村を世話役とする九か村の組合を作っている(『町田市史』)。同国橘樹郡の村々においても旗本・寺社領など二三か村が「領中議定」を取り決め、無宿・浪人者を取り締まっている(深瀬昭一編『川崎領小倉村御霊屋料岸家文書』)。
 文政四年(一八二一)八月に表6―35のように、武蔵国多摩郡の日野領を中心に小宮領、由井領、柚木領の広範囲による村々によって結成された関戸村他一九か村は取締組合を結成し、二か村を年行事として浪人・諸勧化の取締りを行った。この組合は「鷹匠助合村」を中心とする「下組」と浅川流域の「上組」を基盤とした地域的結合である。同年に結ばれた議定には、①浪人者の止宿を禁止すること、②浪人者への合力銭は一か村につき鐚四文とすること、③浪人者が狼藉した時、近辺の者が駆け付けて捕らえること、これに関して出府になった場合は、年番行司が中心となって世話をし、諸入用は組合村の惣高割で負担すること。④御免勧化、定例の檀那廻り御師以外は、継ぎ送りは勿論寄進は禁止すること、などを取り決めている。寄合が百草村の松蓮寺で行われ、浪人等の取締りだけでなく、日野宿の助郷負担や鷹野組合役負担に関することも話し合われるなど、地域における課題も検討されている(米崎清実「浪人もの取締組合の結成と展開」『法政史論』一一)。
表6―35 浪人もの取締組合の領別構成
領名 村名
日野領 関戸村、連光寺村、貝取村、寺方村、上和田村、一ノ宮村、上落川村、下落川村、川辺堀之内村、宮村、上田村
柚木領 乞田村、上落合村、下落合村
小宮領 百草村、高幡村、平村、平山村、下程久保村
由井領 三沢村、豊田村
(注)米崎清実「『浪人もの取締組合』の結成と展開」(『法政史論』11)を基に作成。