ペリー来航と多摩地域

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一九世紀に入ると、異国船の渡来事件が多くなり、一方で農民騒擾も多発し、領主階級は「内憂外患」への対応に苦慮していた。文政七年(一八二四)に常陸大津浜上陸事件、天保七年(一八三六)に甲州郡内騒動、天保八年には大坂で大塩平八郎の乱がおこっている。
 異国船や国内騒擾に対して幕府や藩のとった対抗処置は、領主階級が結束して相互に援軍を出しあうような体制を作ることだった。常陸大津浜事件や甲州郡内騒動では、周辺の諸藩が多数治安部隊を派遣していた。しかし、江戸周辺の武州でも多摩地域は、幕領や旗本領などが多く、強力な在地軍隊が存在しなかったが、内陸部であることや、国内騒擾も幕末までは比較的平穏であったことなどから、文化・文政から天保期ころまでは内憂外患は特別な問題にはならなかった。ただ天保期にも鷹場居住の浪人体の者の徘徊をくりかえし禁止するなど、治安対策にやっきになっていたが、改革組合村の寄場に圏(おり)を作り、恒常化しつつある拘禁施設の不足に対応しようとしていた(宮沢孝至「江戸周辺農村の取締構造」『地方史研究』二二四)。微細な諸領錯綜地の治安には組合村の機構でまだ対応可能とみなされていた段階であった。
 嘉永六年(一八五三)六月のペリー来航時には江戸周辺の治安維持にかなり神経をつかい、改革組合村に悪党者の取締りを命じている。幕府当局者は、異国船の渡来が広範な治安悪化に繋(つな)がることを危惧していた。いわば間接的な影響であった。軍艦を率いての砲艦外交により上陸、国書受取を成功させたペリーは、来春に国書の返答を得るために再度渡来することを告げて退去した。幕府は砲艦外交に対抗するために、品川沖で台場(砲台)の建設にかかった。
 この工事には莫大な経費がかかり、幕府は全国の幕領に「御国恩」と称して献金を勧めた。この幕領での国恩献金は全国的に事例を見いだすことが出来るが、幕領によっては土砂やそのための俵藁、木材、石材などの徴発もあった(赤坂六郎「国恩上納金と名主」『多摩のあゆみ』二四・樋口政則「内海御台場普請と江戸近郊農政」『三浦古文化』三四)。
 幕府の海防政策は永く大名を中心としたものであったが、江戸の海防が焦眉の急になると、旗本の軍備強化をも行うようになった。
 幕末にかけての海防問題の村々への影響には、領主の違いを越えたものも少なくない。一般的には、通行量の増大による助郷負担の増加などが指摘されている。そして共通する対応としては、改革組合村による治安維持の方策があげられるだろう。しかし幕府が旗本たちを軍事的に動員しようとすると、封建軍隊の強化にともない、領地からの人員動員という問題が浮上してくるが、これは本来的な領主と領地・領民の関係が再び要請されることであった。幕領には国恩献金を負担させて台場を建設し、私領には個別領主が軍役動員という形で負担をかけるという大きな違いがあった。
 そこで多摩市を含めた周辺の領地構成を確認して置こう。図6―38は明治初年の『旧高旧領取調帳』から描いた、幕領・旗本領など領主別の分布構成である。領地構成比を円グラフで、村高を円の大きさで示してある。一瞥(いちべつ)して明らかなように、多摩川の北側は幕領が広がっており、例外的に旗本領(府中市の人見村・小田分村)や寺社領(府中市の八幡宿)があった。府中から国分寺、小金井などにかけては、武蔵野の雑木林が広がっていたが、享保期の武蔵野新田の開発で出来た新田が多く、諸領錯綜地では新田は幕領に編入されることが多いので、こうした構成になったという経緯が現れている。

図6―38 幕末期の村の分布と支配構成
(注)『旧高旧領取調帳』より作成。

 これに対して、多摩川の南側の多摩丘陵は全く逆に、ほとんどが私領で、若干の幕領が含まれる村々が点在している。『旧高旧領取調帳』と天保期(一八三〇年代)に編纂された「天保郷帳」の石高を比較すると、天保から明治初年の間に全体として石高が微増している。慶応二年(一八六六)十一月に幕府は最後の大規模な新田開発令を出しているが、時期的に程度の差はあったであろうが、新田は恒常的に発生し、それが幕領に編入されているのであろう(例えば人見村は天保郷帳までは旗本領しかなかった)。
 多摩市域に領地を持っていた旗本は、天野、桑嶋、山角、松平二家、浅井、曽我、中山、和田の九家であった。それぞれの領地構成を示すと、表6―37のようになる。
表6―37 多摩市域の旗本知行と周辺の領地
旧領主名 村名 石高 現自治体 備考
天野滝之助 連光寺村 258.65660 多摩市
坂浜村 358.92600 稲城市
合計 617.58260 禄高 810石の内
桑嶋孫六郎 平山村 204.04500 日野市
一ノ宮村 187.20700 多摩市
合計 391.25200 禄高 300石
山角錤三郎 和田村 68.84900 多摩市
関戸村 198.04200 多摩市
寺方村 141.49680 多摩市
落川村 95.39630 日野市
合計 503.78410 禄高 600石の内
松平晋之丞 貝取村 148.04132 多摩市 禄高 1500石の内
松平鉄次郎 小野路村 97.76030 町田市
上小山田村 424.72220 町田市
小山村 299.99986 町田市
高幡村 137.53000 日野市
平村 271.04300 日野市
落合村 293.79500 多摩市
別所村 148.12000 八王子市 「勝田鋼吉知行」
合計 1672.97036 禄高 1200石
浅井小右衛門 和田村 99.11300 多摩市
寺方村 29.34360 多摩市
下田村 151.44100 日野市
清水村 326.03500 東大和市
合計 605.93260 禄高 546石
曽我七兵衛 上柚木村 278.39000 八王子市
乞田村 358.97300 多摩市
寺方村 33.59750 多摩市
落合村 124.57640 多摩市
一ノ宮村 43.88000 多摩市
合計 839.41690 禄高 800石
中山鎌八郎 平山村 172.40900 日野市
一ノ宮村 131.82000 多摩市
合計 304.22900 禄高 600石の内
和田伝十郎 上柚木村 134.44900 八王子市
和田村 267.88300 多摩市
合計 402.33200 禄高 890石余の内
(注)『旧高旧領取調帳』より作成。
松平(竹谷)鉄次郎については『日野市史史料集・近世3』を参照した。