地元の句合

1055 ~ 1056
天明より文化の約二〇年間は、五流に代表されるように、春秋庵系の俳諧に付かず離れずといった姿勢をとっていたといえる。反面、享和二年(一八〇二)成立の『発句集』にみてきたように、連光寺村―六名―二九句、落合村―三名―四四句、関戸村―三名―六句、乞田村―一名―一句の総計一三名―八〇句と、発句盛行のきざしをみることができる。これを裏書きするのが、時代は約二〇年程降るが、手書きの年不詳 兀山選「梅・蝶」句合書留(資二文・寺)である。この資料の作成年次は、連光寺村の富澤沢雉(一七八七~一八八五)が、府中分梅の小川家に婿入りした文政七年(一八二四)以前のことと考えられる。句合は市域四か村、市外三宿、一八か村の俳人が集まった相当大きなものであった。選者は小野宮の内藤五惇(重喬)に代って兀山であった。兀山は星布に先立って松原庵を許されたともいわれる、八王子の熊沢兀雨の門弟であろうか。表6-40は、本句合に出会した俳人名を居所別に挙げたものである。
表6―40 「梅・蝶」句合書留にみる俳人名
村名 俳人名 人数 合計
多摩市 落合 薄雲 開知 小泉 如風 山寿 柏舟 6 24
関戸 朝六 鶴寿 古月 五流 関守 友主 笛木 7
連光寺 月臼 曲水 三笑 四睡 沢雉 富廼屋 富女 瓢雫 〓流 9
和田 亀丸 和光 2
府中市 小野宮 杏山 維水 金厚 行也 鱒住 5 18
府中宿 菊主 春江 斗雲 白水 布納 文頴 松樹 由石 和多知 9
本宿 春海 豆人 2
小田分 白友 1
是政 枕流 1
日野市 日野宿 瑩徳 海乗 山暁 山松 文外 5 13
石田 兎舟 星砂 楓檻 3
元ふさ 和風 2
落川 新露 1
下田 杏枝 1
知足 1
八王子市 柚木 左琴 南谷 如越 花光 浦夕 松波 松花 遊里 8 11
八王子宿 几橋 花桂 2
宮ノ下 山朝 1
町田市 小山田 一草 喜楽 2 6
関(下山田) 春暁 元志 2
小野路 良志 1
山崎 暁鳥 1
国立市谷保 春蘿 1 1
川崎市 国古 1 1
不明 海朗 画鶏 峨月 可遊 玉盃 幸隣 皿成 三洲 芝丘 春人 叢盧 藤花 繁里 扶好 風衣 風子 蓬谷 升形 磨人 三千雄 三千春 夜四盧 野湫 初 24 24
合計 98

 なお、連光寺村の月臼は富澤惣左衛門で、初めは地頭賄名主であったが、のちに富廼屋禹流比の昌徳とならんで相名主を勤めた。俳号は、大田南畝が調布日記その他に書いているように、調布臼の所有者であった。富女は富澤家の女性であろう。『発句集』でも活躍している。関戸村の鶴寿は五流の妻で、剃髪して鶴寿尼と称した。