幕府はキリシタン禁制の必要から宗門改を始め、全国の寺院に対し、キリシタンの信者でないこと、その寺の檀那であることを証明させ、住職がその身分を保証する寺請証文を提出するよう命じた。これを契機に寺院は周辺の人々を自分の寺の檀家として固定することができた。はじめは、この寺請証文によってその宗旨を証明するだけであったが、のちには宗門人別改めを行うことになった。人別改めの始まりは、寛文十一年(一六七一)の条例によって、檀家一軒ずつ人別帳に記し、死去・生誕・縁付・奉公などの出入・増減を記入し、年齢・宗旨を記載し、一家の戸主ごとに捺印させ、さらにこれらを僧侶に証明させた。また檀家の転出や移動の際には寺送り証文を発行するなど、寺院は個々人を人別に掌握する役儀を負っていた。そしてこの役儀を果たす代わりに、檀家の葬儀を執行する権限を幕府によって与えられ、寺院と檀家は密接に結びつき檀家制度が成立することとなった。