神道事務局府中分局の活動

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一方、当時の神社と神主は先にのべた神道事務局の組織下にもある。小野神社をはじめとする市域の神社と神主の場合は、大国魂神社(府中市)におかれた支局(後に分局に昇格)の下に組織されていた。この分局は一七の支部に分けられ、多摩市域の神社は第五部に所属した。小野神社の太田靱之助はこの第五部の部長をつとめている。府中の分局は一七支部の半月ずつ持ち回りで詰員一人をだし運営された(佐伯前掲論文)。
 神道事務局府中分局の下での太田靱之助らの活動を、断片的ではあるがみておこう(佐伯前掲論文)。神道事務局発足まもないころは「説教」(布教)活動が行われていた。だが、やがて行われなくなったようである。一方、神宮大麻(伊勢神宮が毎年全国頒布する神札)配付事業を行うようになっていた。明治十三年十二月、第五部部長太田靱之助は府中分局から神宮大麻一三七〇体を受け取っている。また明治十五年一月十一日、第五部の神宮大麻代金を太田靱之助が取りまとめて納めているが、このときの文書によると、市域各村への頒布を担当しているのが主に太田靱之助であり、村の各戸に頒布されていたことがわかる(表1―1―15)。教部省政策当時、神宮大麻頒布事業は行政機構を通じて強制的に行われていたが、これが教部省廃止後の明治十一年三月にとりやめとなっていた。おそらく、神道事務局はこの事業をそのまま引き継いで神道布教の手段としたのだろう。
表1―1―15 市域における神宮大麻頒布状況(明治15年1月)
村名 戸数(明治18年) 大麻頒布数 金額 担当者
寺方村 48戸 50体 1円010 由木民也
和田村 53戸 52体 1円040 由木民也
一ノ宮村 44戸 19体 380 新田苗維
19体 400 太田靭之助
関戸村 47戸 50体 1円200 太田靱之助
連光寺村 129戸 126体 2円572 太田靱之助
乞田村 74戸 67体 1円474 太田靱之助
貝取村 45戸 53体 1円164 太田靱之助
落合村 90戸 90体 2円050 太田靱之助
(参考) ――― ――― ――― ―――――
百草村 49戸 47体 940 由木民也
落川村 45戸 49体 900 新田苗維
佐伯弘次「明治前期における一の宮小野神社の歴史的背景」(『府中市立郷土館紀要』7)52~53頁。明治18年各村戸数は「資料編三」No.146による。

 府中分局では明治十五年二月五日、「国教演説会仮規約」を決定している。この仮規約によると「国教演説会」は、「皇基(天皇の国家統治の基礎)ヲ翼賛シ大義名分ヲ明ニスル」ことを目的に演説会を定期的に開催しようとするもので、分局の神主(教導職)を主な会員としている。演説会開催にあたっては分局内一七部を一〇区にわけ、これを単位に演説会を行うとされる。たとえば市域(第五部内)が関係する第一部から第七部の場合、これをあわせた範囲で四区分されることになっていた。
 この第一部~第七部で同年春に実際に行われた国教演説会をみてみると、府中駅、布田駅(調布市)、小野路村(町田市)で「演説員」による演説が行われ、その宿泊費を第一部~第七部の演説会会員六七戸で負担している。そして、この時の第五部における演説会会員には、市域の人物として小野神社の新田苗維・太田靱之助の他、同社の社家で神楽師の森田家(寺方村)から、森田鉄之進(記内)と兼三郎の名を確認することができる。
 この国教演説会についてもよくわからない点が多い。だが、平田派国学者の巨頭・丸山作楽(さくら)らが漸進主義を掲げて明治十四年四月に組織した忠愛社との関連をもっていた点は注目すべきだろう。丸山は翌明治十五年、民権派の政党結成に対抗して立憲帝政党を組織したメンバーの一人である。府中分局の国教演説会活動の背景には、民権運動や国会開設問題への保守的立場からする神主たちの対応という性格があったのかもしれない。
 最後に、明治二十年代にかけての神道の行く末に触れて本節の締めくくりとしよう。明治政府が神道による国民の思想的統一を図ろうとして推進する方策は、本節でこれまで触れてきたように、直接的な神道国教化政策や教部省の神仏合同布教の挫折、その後の神道の宗教的発展がもたらした困難といった、様々な試行錯誤を経て洗練されてゆく。その産物が、神社神道を宗教ではなく国家の祭祀儀礼・道徳だとする「国家神道」の考え方である。政府はこの考え方を明治十年代後半から明確に採用するに至った。ここに、諸宗教の活動とそれを信じる自由をあからさまに否定することなく、神社神道の国民全体への思想的な浸透を図る方法が示されたのである。そしてこの考え方は明治二十二年(一八八九)の帝国憲法にも組み込まれることとなる。ただし、「国家神道」の社会への積極的な浸透を、政府が自覚的に追求するようになるのは日清日露戦争後のことである。これに関しては一編六章三節で触れることとする。