ところが、寺方村の戸長選任はこれで終わらなかった。というのは、戸長の杉田吉兵衛が病気のため、職務執行ができなくなったのである。そこで、ふたたび入札が行われ、新たに杉田喜六が戸長に選出され、七月十日に区長・副区長の承認を受け、神奈川県権令大江卓に報告された。ただし、このときも代議人によって入札された形跡はなかった。寺方村以外で誰がどのようにして戸長・副戸長に選ばれたのか、明らかではない。しかし、寺方村の例をみる限り、戸長は県が指令した代議人による入札ではなく、いままで通り一般農民全員による入札で選ばれたのであった。
その後、八月五日、第八区に対し、県から番組の戸長・副戸長の入札法に関する通達が届いた(杉田卓三家文書)。区番組制施行の際の布達では、番組に置く役人について明確な規定がなかったため、ここで改めて番組にも戸長・副戸長を置くことが確認されたのである。この通達のなかで、県は、村費節約の目的を達成するため、番組の戸長に事務の取り扱いをさせることにしたと述べる。そして事務量が増えている折柄、事務能力に長けた者でなければならないとし、十日後の八月十五日に臨時の入札を行って、番組の戸長・副戸長を選出するよう命じたのである。このとき県が指示した入札法によれば、入札を行うのは各村の戸長・副戸長・百姓代であった。一方、戸長に選ばれる資格としては、①その番組に本籍があり、しかも三年以上居住していること、②年齢二一歳以上で読み書き計算ができること、③一〇石以上の土地を所有していること、④戸主または相続人であることがあげられている。また、村役人を勤める者であっても、いままでに刑罰を受けたことのある者や、現在裁判中の訴訟を抱えている者は除くこととされた。さらに、県はもっとも多くの得票を得た者でも、場合によって当選を認めないこともあると明記した。つまり、入札の結果が無視され、県が指名した者が戸長になることもあり得るのである。こうした点に県の姿勢は鮮明に現れているといえよう。
図1―2―2 入札法
この通達を受け、第八区では八月九日、区会所のある小野路村で番組戸長の入札を行った(富沢政宏家文書 国立史料館蔵)。この際、誰が選ばれたのか不明だが、それから四か月もたたない十二月に、戸長・副戸長を廃し、番組に戸長・副戸長、村に村用掛を置くことに改められた。ここで戸長らの職務内容も明確化された(『神奈川県史』資料編11)。それによれば、戸長らは区長や学区取締の指示を受けながら番組の事務を統括するとされた。さらに番組の事務に関する書類はすべて番組会所で管理し、番組の予算を縮小するよう努めねばならなかった。村用掛は番組の戸長のもとで村政に関する事務に従事した。
こうして区番組制は明治六年末に枠組みができあがったが、その頃の村々の概況を、多摩市域が属する七番組と九番組についてまとめると表1―2―2のようになる。石高・戸数・人口は第一章で示したものと大きな変化は見られない。ただ、村役人は多くの村で一新されている。彼らは、県(県令)―区(区長)―番組(戸長)―村(村用掛)という行政機構のなかに組み込まれ、地方行政の一端を担っていくことになる。
石高 (石) |
戸数 (戸) |
人口 (人) |
村役人 | |
7番組 | 1937.50 | 309 | 1576 | 戸長:鈴木良孝 副戸長:大沢嘉重 書役:西川誠一 |
堀之内村 | 599.20 | 89 | 473 | 村用掛:鈴木三蔵 学校世話役:鈴木太之助 |
別所村 | 145.04 | 30 | 133 | 村用掛:青木庄右衛門 |
中野村 | 355.87 | 67 | 356 | 村用掛:井上彌三右衛門 |
大塚村 | 401.50 | 74 | 362 | 村川掛:黒田久左衛門 学校世話役:林文治郎 |
和田村 | 435.87 | 49 | 252 | 村用掛:柚木三郎右衛門 |
9番組 | 2056.07 | 430 | 2330 | 戸長:井上季僖 副戸長:岸政方 書役:杉田栄作 |
関戸村 | 256.47 | 44 | 224 | 村用掛:相沢勘七 堤防掛:小山政五郎・相沢祐八 |
連光寺村 | 289.62 | 113 | 642 | 村用掛:小金忠五郎 学校世話役:富沢政恕 |
一ノ宮村 | 349.71 | 39 | 197 | 村用掛:山口茂兵衛 堤防掛:内田和助 |
寺方村 | 211.43 | 49 | 235 | 村用掛:杉田喜六 |
貝取村 | 153.54 | 43 | 256 | 村用掛:伊野蔵之助 |
乞田村 | 367.92 | 65 | 365 | 村用掛:有山勝次郎 |
落合村 | 427.37 | 77 | 411 | 村用掛:小泉泰助 学校世話役:横倉与兵衛 |