この土地測量が終了した後、神奈川県では明治八年(一八七五)八月頃から九年五月頃にかけて地価調査が行われた。ただし、土地売買が解禁されてから数年しか経っておらず、正当な売買地価が形成されていなかったため、この際の調査では小作米金が基準となった。これにより各村で地価の調査が進められ、市域では寺方村と落合村が、明治八年十一月に調査結果を県に提出している(杉田卓三家文書、資三―91)。しかし、この小作料は旧来の土地制度のもとで形成されたものであり、また小作慣行は地域によって異なるため、小作米金によって新たな地価を算出するのは、さまざまな矛盾をはらむものであった。そこで政府は明治九年(一八七六)三月、関東の一府六県は同一の基準で地価の算定を行うことを決めた。神奈川県はこれを受け、小作米金に基づく地価調査を無効とし、新たに収穫米を基礎として、地位等級の設定と地価算定を行うことを告げた。これにより各村とも反別、収穫米を調べ直し、田畑の等級を決めることになったが、その様子を「富沢日記」でみると、明治九年八月十六日に田畑等級の調査のため村内の向岡に赴き、さらに九月二日、八小区の各村立ち会いのうえ、連光寺村の田畑等級の調査が行われている。そしてこの月、富沢政賢は毎日のように等級の計算のため扱所に出勤し、二十五日からは県から派遣された二人の役人とともに、村内の等級調査に従事した。
この調査の結果、村位等級および地位等級が決定される。第八大区では明治九年中(月日不明)に戸長らの協議によって村位が決められている。市域八か村についてみると、表1―2―13のようになる。評価は一等から五等まであるが、山部で高い評価になっているのを除くと、おおむね中級に位置している。さらに各村ごとに地位等級が決定される。その過程については「富沢日記」にも先に紹介した部分以降に記録がないため不明な点が多い。連光寺村の場合、明治九年十二月にいったん地位等級がまとめられているが(富沢政宏家文書)、その後、明治十一年(一八七八)七月に再び集計されている。おそらくこれは大区長か県令に提出されたものと思われる。そのなかから連光寺村と一ノ宮村について示したものが、表1―2―14と表1―2―15である。
表1―2―13 多摩市域の村位等級一覧
|
田方 |
畑方 |
山部 |
宅地 |
和田村 |
3 |
3 |
2 |
|
関戸村 |
2 |
3 |
1 |
3 |
連光寺村 |
3 |
4 |
1 |
|
一之宮村 |
2 |
2 |
1 |
|
寺方村 |
3 |
2 |
1 |
3 |
貝取村 |
4 |
3 |
2 |
|
乞田村 |
3 |
2 |
2 |
|
落合村 |
4 |
3 |
3 |
|
「資料編三」No.93より作成。 |
表1―2―14 連光寺村の地位等級別収穫表
|
田 |
畑 |
反別 |
収穫米 |
反当たり収量 |
県の等級 |
反別 |
収穫麦 |
反当たり収量 |
県の等級 |
|
町 |
石 |
石 |
|
町 |
石 |
石 |
|
1等 |
5.1903 |
88.227 |
1.70 |
4等丙 |
4.7724 |
83.615 |
1.75 |
3等乙 |
2等 |
4.9627 |
77.020 |
1.55 |
5等丙 |
9.3024 |
153.582 |
1.65 |
4等甲 |
3等 |
2.8221 |
39.578 |
1.40 |
6等丙 |
10.8201 |
162.305 |
1.50 |
5等甲 |
4等 |
6.4429 |
77.396 |
1.20 |
8等甲 |
8.2817 |
103.571 |
1.25 |
6等丙 |
5等 |
8.0710 |
76.697 |
0.95 |
9等丙 |
15.1619 |
151.663 |
1.00 |
8等乙 |
6等 |
10.5529 |
73.918 |
0.70 |
11等乙 |
20.3509 |
142.471 |
0.70 |
10等乙 |
7等 |
1.3728 |
6.207 |
0.45 |
13等甲 |
|
|
|
|
計 |
39.4427 |
439.063 |
1.11 |
|
68.7104 |
797.207 |
1.16 |
|
「資料編三」No.95より作成。 注)反別の合計が合わないが、原史料通りに記載した。 |
表1―2―15 一ノ宮村の地位等級別収穫表
|
田 |
畑 |
反別 |
収穫米 |
反当たり収量 |
県の等級 |
反別 |
収穫麦 |
反当たり収量 |
県の等級 |
|
町 |
石 |
石 |
|
町 |
石 |
石 |
|
1等 |
3.2800 |
60.680 |
1.85 |
3等丙 |
2.0529 |
38.104 |
1.85 |
2等丙 |
2等 |
8.4517 |
143.746 |
1.70 |
4等丙 |
0.6427 |
11.033 |
1.70 |
3等丙 |
3等 |
11.3619 |
170.495 |
1.50 |
6等甲 |
0.3411 |
5.327 |
1.55 |
4等丙 |
4等 |
2.8711 |
37.358 |
1.30 |
7等乙 |
0.2726 |
3.762 |
1.35 |
6等丙 |
5等 |
1.6628 |
16.693 |
1.00 |
9等乙 |
3.1201 |
35.884 |
1.15 |
7等乙 |
6等 |
1.0427 |
1.192 |
0.80 |
10等丙 |
4.0912 |
28.658 |
0.70 |
10等乙 |
計 |
27.7912 |
430.164 |
1.55 |
|
10.5416 |
122.768 |
1.16 |
|
「資料編三」No.95より作成。 注)反別の合計が合わないが、原史料通りに記載した。 |
まず、両村を比べて明らかなのは、連光寺村が畑作中心なのに対して、一ノ宮村が米作中心ということである。しかも、一ノ宮村は田方で高い等級を占め、平均反当たり収量も一石五斗余という高い数値を示している。連光寺村では田畑とも各等級にちらばり、平均反当たり収量も低い値にとどまっている。また、県が定めた等級からみても、連光寺村は田方が四等丙から一三等甲まで、畑方が三等乙から一〇等乙まで、一ノ宮村は田方が三等丙から一〇等丙まで、畑方が二等丙から一〇等乙までとなっていて、この点でも連光寺村に比べて一ノ宮村の生産力が高いことがわかる。こうして作成された地位等級によって新地租が決定された。