地租改正の結果

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まず、市域の村々で確定された地価を表1―2―16からみてみよう。このうち小作米金に基づく旧地価と比較できるのは連光寺村だけで、同村の明治八年(一八七五)の旧地価・一万八一二三円余と比較してみると、二倍近い増加を示していることになる。ほかの村もおそらく同じ程度の増加はあったと思われる。この地価の百分の三が地租となる。数年間を費やして行われてきた地租改正事業は、耕宅地に関しては、明治十一年(一八七八)八月頃に終了する(山林原野に関しては明治十三年終了)。新旧の地租を比較すると、表1―2―17のようになる。ちなみに、明治十一年に確定された新租は明治九年までさかのぼって徴収することになっていて、表にある旧租とはすでに納入した地租である。また、明治九年(一八七六)の地租は地価の百分の三で計算されているが、明治十年の新租は地価の百分の二・五に減租された数値である。それを念頭に置きながら、表をみれば、まず一目瞭然なのは一ノ宮村を除いたすべての村で増租になっていることである。増租率でみても、減租になった一ノ宮村がわずか三パーセントの減少にとどまっているのに対して、増租となった村々は連光寺村の二一九パーセントを筆頭に大きな数字を示している。市域全体の増租率は一四〇パーセントである。もっとも、これは八大区内の他地域と比べると、けっして高い数値ではない。『稲城市史』下巻によれば、八大区五五か村の平均増租率は約一六〇パーセントで、最高が鶴間村(町田市)の五〇五・五パーセント、二〇〇パーセント以上の村は一三か村あった。むろん、八大区のなかで相対的に増租率が低いとはいえ、これ以後、旧来の租税の一・四倍の租税を支払わなければならないのは軽い負担ではない。
表1―2―16 多摩市域の新地価一覧
地価
円 銭
和田村 23,462.25
関戸村 23,466.44
連光寺村 33,446.05
一之宮村 21,755.14
寺方村 14,881.88
貝取村 11,850.26
乞田村 21,851.42
落合村 29,671.48
「資料編三」No.94より作成。
注)銭未満の数値は四捨五入。

表1―2―17 多摩市域の新旧地租一覧
和田村 関戸村 連光寺村 一之宮村
明治9年 明治10年 明治9年 明治10年 明治9年 明治10年 明治9年 明治10年
旧租 441円157 514.630 430.459 513.006 383.405 455.520 558.490 677.021
新租 703円868 586.556 703.993 586.661 1003.381 836.151 652.654 543.879
差額(増租率) 334円637(135%) 347円189(137%) 1000円607(219%) △38円978(97%)
 
寺方村 貝取村 乞田村 落合村
明治9年 明治10年 明治9年 明治10年 明治9年 明治10年 明治9年 明治10年
旧租 336.534 398.208 157.926 191.221 394.459 470.802 535.569 639.566
新租 446.456 372.047 355.508 296.256 655.543 546.285 890.144 741.789
差額(増租率) 83円761(111%) 302円617(187%) 336円567(139%) 456円796(139%)
「資料編三」No.94より作成。
注)1 差額欄の△はマイナスを示す。
  2 差額は明治9・10年をあわせた数値である。差額の数値が合わない村もあるが、原史料通りに記載した。


図1―2―8 地券

 市域のなかで減租になった一ノ宮村ともっとも大きな増租となった連光寺村を比較してみると、まず地租改正時の土地測量で一ノ宮村は減少し、連光寺村は市域で最大の増加となっていた(表1―2―17)。さらに先に確認したように、一ノ宮村が田の多い地域で、連光寺村が畑の多い地域であることも増租率の差に現れている。すなわち、八大区においては五五か村のうち、田方では四九か村で減租となり、畑方では五三か村で増租となっているのである。しかも、田方の減租率が五〇パーセント程度なのに対し、畑方の増租率は五〇〇~六〇〇パーセントにも及ぶ。こうした傾向は神奈川県だけでなく、関東地方の山部の畑作地帯に共通するものだとされる(渡辺隆喜「神奈川県地租改正事業の特色」『神奈川県史研究』4号)。市域の村々では田畑ごとの増租率はわからないが、両村の増租率をみれば、こうした傾向は多摩市域にも表われていたといえよう。