明治十二年(一八七九)六月十三日、神奈川県は「町村会規則」を布達した。町村会規則は四章からなる。第一章の「総則」では、町村会は定期的に開催される通常会と臨時会からなり、各会では、その町村限りの経費をもって支弁する事業の荒廃・伸縮、およびその経費の予算と賦課方法、共有財産の処分・維持、共同の名義で土地・家屋・金穀などの借入・貸与、町村が負担する戸数割税の税率決定、議事細目の決定に限定した。
第二章の「選挙」では、議員の選出について定めている。町村会の議案は戸長が提出し、審議する議員の資格は、官吏・教員や県会議員を除いた満二〇歳以上の男子で、その町村に本籍地があり、土地を所有するものであった。議員は四年の任期で無給であり、二年ごとに半数ずつ改選されることになっていた。また、町村会の議員数は、一〇〇戸未満が一〇人以下、一〇〇戸以上二〇〇戸未満が一五人、それ以上は二〇〇戸で五人ずつ増加し、上限は一〇〇〇戸以上が四〇人であった。町村会議員を選挙できるものは、町村会議員の被選挙資格と同じであった。
第三章の「議則」では、会議は議員の半数以上の出席で成立することとし、出席議員の過半数以上が議題の可否を決めていた。戸長は会議において議案を説明するだけで、議決には加われなかった。また、会議の傍聴も認められていた。第四章は、議会の開会・閉会について決めている。通常会は戸長の命令により、毎年五月と十一月に開会し、会期は十日以内とされた。臨時会は戸長による命令か、議員三分の一以上の要請があるときに開会した(「町村会規則」伊野弘世家文書)。
神奈川県が布達した町村会規則に基づいて、各町村が町村会規則を制定していくので、町村によって町村会規則の内容は異なっていた。多摩市域では、連光寺村の村会規則しか判明していないので、これを手がかりにみていくことにする。
連光寺村会規則は、九条の「村会議事規則」と三条の「村会議事傍聴心得」からなるもので、明治十二年七月六日に制定された。神奈川県が布達した町村会規則と比べると条文の数がきわめて少ない。村会議事規則では、会議が午後一時からはじまって六時に終わり、議員の座席が毎回抽籤(ちゅうせん)で決められていた。議案の可否は三次会で決するものとした。つまり、一次会では議案の説明とこれに対する質問、二次会では議案を逐条審議し、三次会では議案の可否を決するものであった。会議中の審議では、戸長は「番外一番」、議員は抽籤で決められた座席の番号で、それぞれよばれることになっていたのである(資三―97)。また、会議の傍聴を希望するものは、受付で名刺と交換に渡される傍聴牌を持っていなければならない、と村会議事傍聴心得に記してあった(資三―99)。