農村の金融

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多摩市域の金融はこれまで質屋が行っていたが、明治十三年二月、広融会社という銀行類似会社の創業願が神奈川県に出された。「広融会社申合規則」によれば、広融会社は連光寺村小形清左衛門宅に置かれ、一株二〇〇円以上を差し出す社員によって貸付基本金を集め、貸付基本金が一五〇〇円になって創業をはじめることになっていた(資三―126)。広融会社の創業以降はわからない。このほか、明治十四年には一ノ宮村に隆盛社、十六年九月には方擴社という貸付会社があったが、その実態はわからない(『多摩町誌』、「借用金日延約定証」伊野英三家文書)。
 多摩市域(百草村を含む)の質屋は、明治十三年から十八年の間、金利は各年とも平均すると、一〇円に対する利子は一三銭五厘、一円に対する利子は二銭であった。市域では、質屋は明治十七年に一一軒あったが、翌年には二軒減って九軒になってしまった。また、表1―3―10によれば、この期間、質屋の年間「貸出金」は二二〇〇円から六〇〇〇円近くであったが、この貸出金が最も多かったのは明治十五年であった。「受戻金」は一〇〇〇円から三二〇〇円の間にあったが、常に貸出金が受戻金を上回っていた。とくに、明治十五年と十六年は、貸金と受戻金の差が二二〇〇円以上もあった。貸金の返済ができない「流れ金」は明治十五年から急に増え、十六年には五一一円となったが、十七年から減少していった。
表1―3―10 関戸村外八ケ村質屋貸金高
1年間 1年間 1年間
貸出金 口数 受戻金 口数 流れ金 口数
明治13年 3427 2113 2632 1223 83 51
14年 5177 2075 3237 201 72 49
15年 5924 2274 3170 1061 332 168
16年 4821 2843 2579 1536 511 364
17年 3346 2305 1674 1183 298 241
18年 2227 1498 1097 1006 187 76
石阪好文家文書より作成。