村長・助役・村会議員選挙

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多摩村となって最初の村会議員選挙が、四月二十五日、東寺方の寿徳寺で行われた(資三―163)。選挙掛長は元連合戸長の小林祐之が勤めた。選挙方法は前述のとおり等級選挙制であり、町村税額四九〇円余のうち半分を納める上位六二人が一級選挙人、残り三四三人が二級選挙人である。結果は表1―4―1のとおりである。選挙はまず二級選挙人の投票が、続いて一級選挙人の投票が行われ、それぞれ六人ずつが選出された。興味深いのは、一級選挙で当選した六人は二級選挙で落選した得票数七位から一五位の九人の中から選ばれているが、一級選挙でも落選した三人の出身大字が和田二人、連光寺一人だったことである。これで最終的には落川村飛地を除く各大字から最低一人の議員が選出された訳で、これはすなわち当時の議員が各旧村の代表的性格を持ち、等級選挙制がその調整機能を発揮したことを意味している。当然事前の取決めもあったことは想像に難くないが、当時としては特に珍しいことではなかった。
表1―4―1 明治22年多摩村村会議
選出 氏名 出身大字 村の納税額の順位 各級得票率 備考
一級選挙 伊野権之助 貝取 14位 10.6% 貝取村議員(M10)・貝取村総代人(M12)・連合村会議員(M17)・処仁学区人民総代(M26)
相沢兵蔵 関戸 2位 9.9% 熊野神社氏子総代(M42)・関戸区会議員(T5)・同区長(T8)
寺沢弥十郎 落合 41位 8.4% 落合村議員(M10)・連合村会議員(M17)・多摩村農会評議員(M30)・白山神社氏子総代(M45)
小林祐之 関戸 91位 7.6% 関戸村東寺方戸長役場戸長(M16)・関戸村外八ケ村戸長(M18)
臼井庄蔵 百草 15位 5.3% 甲子会社支店発起人(M15)・多摩村農会評議員(M30)
杉田吉兵衛 東寺方 5位 4.6% 東寺方村議員(M10)・連合村会議員(M17)・山神社氏子総代(M25)
二級選挙 伊野銀蔵 東寺方 100位 12.4% 東寺方村議員(M12)・自由党員(M16)・多摩村報国恤兵会調査委員(M27)・多摩村農会幹事(M30)
有山十七造 乞田 36位 8.6% 乞田村議員(M10)・乞田村総代人(M12)・連合村会議員(M17)・処仁学区人民総代(M26)・多摩村農会幹事(M30)
富沢政賢 連光寺 1位 8.4% 村長(M22)・多摩村報国恤兵会会長(M27)・春日神社氏子総代(M33)・多摩村銀行取締役(M33)・多摩合資会社有限責任役員(M33)
永井平太郎 一ノ宮 9位 6.7% 一ノ宮戸長(M17)・多摩村農会評議員(M30)・小野神社氏子総代(M33)
富沢芳次郎 連光寺 18位 5.3% 多摩合資会社役員(M33)・多摩村銀行取締役(M39)
真藤龍蔵 和田 8位 5.2% 和田村議員(M10)・甲子会社支店発起人(M15)・連合村会議員(M17)・助役(M22)
「資料編三」No.163より作成。
注)1 村内納税額の順位は、「撰挙名簿」(富沢政宏家文書)による。資料の年代は不明だが、明治22年~31年の間と推定される。順位は不在地主を除いたものであるが、選挙人名簿に記載されている実際の納税額の1~3位は、不在地主である。
  2 備考は資料から判明しているものの一部で、( )内の年は、その当時在職していたことが確認できることを示す。

 続いて村長および助役を選出するための第一回多摩村会が五月十六日に開かれた(資三―164)。選挙は欠席者一人のため、一一人の村会議員による無記名投票によって行われ、六票を獲得した富沢政賢(図1―4―2)が、小林祐之を一票差で抑えて初代村長となり、助役には真藤龍蔵が選出された。七月五日には収入役として小川平吉が、書記には加藤英文が富沢村長から推薦され、満場一致で議会の承認を得た。後に小川は東京府会議員に、加藤は八王子町助役へと転身することとなる。同日、伊野銀蔵と有山十七造が無記名投票により委員に選出されたが、「富沢日記」には「議員中ノ委員ヲ定メ議案ヲ起草シ勧業衛生学務土木等ヲ担当セシム」とある。多摩村では村長以下使丁を含めて六人という少人数で事務の全てを処理していた。当時のいわゆる三役で毎日出勤する者は少なく、業務分掌も不明確だった。富沢村長はほとんど毎日役場で政務を執っていたことが「富沢日記」からわかるが、事務的な面での中心は加藤書記だったと思われる。

図1―4―2 富沢政賢
(明治13年・21歳)

 さて、前述のとおり正当な理由なく名誉職を辞退した場合には法的制裁が準備されていたが、実際は全国的にも多くの辞退者が出たようである。多摩村の場合、選挙前ではあるが、村長もしくは助役に推されていた富沢芳次郎が小林祐之に辞意を伝えた。四月二十二日、小林は富沢政賢に宛てて手紙を送っているが、概要は次のとおりである。
 富沢芳次郎君から名誉職辞退の届出がありました。話合いの上取消してもらいたいが、私が「談合」にあたると「隠ニ行フ事モ公ケ」になってしまう恐れがあります。このような事はなるべく秘密に取計らいたく、万一表沙汰になれば他にも影響が出るでしょう。そこで彼と親友の貴君で内々に「御談合」をお願いいたします。また辞退書はしかるべく処分して下さい(富沢政宏家文書)。

 しかし富沢芳次郎の辞意は固く、結局、事前に辞退したのである。また、臼井庄蔵も収入役推薦の辞退書を富沢政賢に送っている(富沢政宏家文書)。
表1―4―2 明治期の村長、助役及び収入役
村長
氏名 在職期間 備考
富沢政賢 明22.6.24~26.2.25
26.4.14~30.4.13
30.5.8~34.5.7
34.5.17~34.6.16 臨時代理
34.6.17~37.10.5
佐伯太兵衛 38.2.21~41.3.17
富沢政賢 41.9.28~大1.9.27
助役
氏名 在職期間 備考
真藤龍蔵 明22.6.24~26.2.25
26.4.14~26.10.18
小川平吉 27.7.4~31.7.3 収入役兼任
31.8.23~32.8.30
佐伯太兵衛 35.4.22~38.2.25
小泉良助 38.3.24~41.3.23
藤井保太郎 43.4.13~大3.4.12
収入役
氏名 在職期間 備考
小川平吉 明22.7.12~26.3.28
26.5.22~27.6.10
27.8.20~31.7.3
31.8.23~32.8.30
32.9.19~36.9.18
横倉勇造 36.11.18~37.3.10 臨時代理
市川酒造之助 37.10.4~38.12.12
小形篤之助 39.1.13~大12.3.30
多摩市行政資料。