多摩村会の成立

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村長および助役の選出が行われた五月十六日の村会では、その選挙に先立ち、法律通り両職とも名誉職とすることが可決された。しかし九月十一日、十二日の村会で成立した明治二十二年度の予算決議書によって二十二年七月から翌年三月まで九か月の予算額を見ると(資三―166)、有給職の収入役に五四円、書記に四九円五〇銭の給与のほかに、村長には六〇円、助役には四八円が報酬名義で決議され、さらに実費弁償額として村長三七円五〇銭、助役二七円が計上されている。無給名誉職制は全くの建前論となっていた。なお、この報酬および給料については、法律上「名誉ノ二字」もあるので、村長、助役の報酬実費を減額し、これを書記給料に上乗せすべきだという議員の発言により修正が加えられたものだった(富沢政宏家文書)。
 また、村会の主な審議事項と議員の出席状況をまとめると表1―4―3のとおりである。これを見ると出席状況は概ね良いといってよいだろう。ただし、関戸では、すぐに小林が辞職したほか、一ノ宮の永井、東寺方の杉田の欠席が目立つ。これは裏を返せば大体の議案は事前に決まっており、欠席しても大勢に影響がないためだといえるだろう。まだ、新村成立当初の新村に対する旧村の、やや腰のひけた対応があったのかも知れない。時代はやや下るが、明治三十五年(一九〇二)に東京府へ提出された「南多摩郡各町村巡視之状況報告書」(東京都公文書館所蔵)(以下「報告書」とする)に当時の町村会の様子が述べられており、その概略は以下のとおりである。
……いずれも重要問題については「予メ内議ヲ熟シ議事」に移る順序なので、概して議事で軋轢が生じることはない……会議は概ね議事細則に依るといっても、多くは内議決定を尽し、正式合議は「議事録調製ノ必要上」公開しているといってもよい。審議時間は歳計予算や決算の他、「特種ノ議件」でないものは一時間を超えないようである……

 極言すれば村会はなかば儀式的に行われていたに過ぎなかったのである。
表1―4―3 多摩村会出欠表(明治22年5月16日~25年2月28日)
年(明治) 22 23 24 25
5 7 7 9 9 3 4 6 8 10 2 4 6 10 2 2
16 5 22 11 12 24 18 28 9 8 24 5 30 9 28 28
通常・臨時
1 伊野権之助 貝取 ×
2 伊野銀蔵 東寺方 ×
3 相沢兵蔵 関戸 × × × × × ×
4 富沢政賢 連光寺
5 永井平太郎 一ノ宮 × × × × × × × ×
6 杉田吉兵衛 東寺方 × × × × × × × × ×
7 有山十七造 乞田
8 真藤龍蔵 和田 × ×
9 富沢芳次郎 連光寺 × ×
10 臼井庄蔵 百草 × × ×
11 小林祐之 関戸 ×
12 寺沢弥十郎 落合 × × × ×
主要な議事の内容 村長及助役選挙 収入役書記委員選任 地方税戸数割賦課法及徴収期 歳入出予算 歳入出予算 予算、地方税戸数割賦課徴収法 地方税追加戸数割賦課徴収法 歳入出精算報告会議 衛生費予算并衛生組合 地方税追加戸数割賦課法 歳入出予算 前年度追加地方税戸数割賦課法 地方税戸数割多摩村賦課徴収法 歳入出精算認定会議 村立尋常小学校設立議決 歳入出予算 予算会議
村会議事録などより作成。
注)小林祐之は明治22年9月辞職。