移管賛成派の運動

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法案通過のための運動を最も精力的に進めたのは、富田東京府知事を中心とした東京市会議員らだった。二月二十日、富田知事の招集で市会議員約四〇人は協議を行い、各議員が法案の通過に尽力することを決し、府下各区在住の代議士を訪問して賛成を求めることとして運動を開始した。二十二日、府庁議事堂に集まった市会議員らは富田知事を加えて移管に関する秘密会を開いた。協議の結果、楠本正隆市会議長をはじめ八人の運動委員が選出され、府庁構内に三多摩郡境域変更の事務取扱所を設けて体制を固めたのである。
 この日の夜、神奈川県有志総代として菊地小兵衛、山宮藤吉らが上京し、市会議員らに面会して移管の希望を申し入れた。翌二十三日に菊地らは特別委員を訪問した後、橘樹郡選出の県議飯田彰重と共に法案提出理由と同趣旨の請願書を提出した。この請願書には県内改進派の県議クラス一九人の署名がある。またこの日、旧正義派を中心とする砂川源五右衛門、吉野泰三ら二一人は三多摩郡有志者一五七九人の総代として内務大臣と面会、続いて市会運動委員と面会し、両院へ請願書を提出した。
 二十四日に会期延長の詔勅が出され、議会が二十八日まで延長されることになり、市会議員および区会議員の代議士訪問は更に続けられた。二十五日には吉野とつながる北多摩郡の改進派、町田六右衛門ら四二〇人の請願書が衆議院に提出された。この日、市会運動委員は区長に宛て、委員会では今晩中に結果が出るので、区内運動委員総出で代議士の協力を要請するよう通知している(『三多摩郡引継書類』東京都公文書館蔵)。市区連携の運動は大詰めを迎えていたが、運動委員らの予想に反し、この日の委員会では議論はまとまらなかった。そこで運動委員らは委員会の決着を二十七日でつけ、直ちに議事日程を変更して採決に持ち込もうと画策した。このような強行手段の背景には、会期終了間近であるという日程的な問題のほか、これまでの運動が実り、賛成を承諾した代議士が遂に過半数に達したという事情があった(『国民新聞』二月二十六日付)。運動委員らは区長、区会議長に賛成承諾議員のリストを送り、その議員への出頭要請、不参の場合の呼び出しについて協力を要請した(「三多摩郡引継書類」)。議場での勝利を確かなものとするため、市会運動委員らの準備は実に周到だったのである。二十七日、手筈通りに国民協会の牧朴真から議事日程変更の緊急動議がなされた。
 しかし東京府においても郡部会議長宮本頼三をはじめ郡部は移管に反対だった。郡部会議員らは地方税の増加などを理由に知事の協力要請を断り(『自由』二月二十二日付)、荏原郡の高木正年は治水費増加分を市部でも負担するとの条件付きでなければ賛成できないと主張している(『万朝報』二月二十四日付)。そこで市部では、移管によって府下六郡の地方税負担額が既往五年間の平均額を上回った場合、市部で超過額を負担することを約束した。第五議会までの猶予願、つまり事実上の反対請願提出を内定していた郡部はこの条件提示によってようやく納得したという(『朝野新聞』三月二日付)。