東京府移管にともない一村に二か所の駐在所が設けられることになり、多摩村では関戸駐在所に加え、乞田駐在所が設けられるに至った。明治二十八年十一月、処仁学校で乞田巡査駐在所の管轄区内の有力者が集まり(資三―183)、各区の分担金、設置場所、駐在所家屋などを決めている。この工事経費は九一円余であったことが、世話人有山十七造、新倉菊左衛門から報告されている(資三―184)。
一方、経済発展にともない通信手段の利便化も要請されるに至った。明治三十年十二月、多摩村は小金寿之助ほか八人の連名で、郵便局設置の請願書を提出した(資三―261)。これに添付した村長富沢政賢の添書によれば、先年来、町田郵便局の配達区域に属していたが、官庁文書も三、四日遅れで到達するありさまで不便である。そのため府中郵便局の所属に移されたが、多摩川通過のため洪水などでこれまた不便である。請願書のごとく多摩村と稲城村、由木村の三村を配達区とし、その中心部の多摩村の関戸か連光寺に郵便局を設置してほしい。この地は交通上の便利もよく、経済的にも発展しているとし、「重要物件取調書」(富沢政宏家文書)を添えている。
重要物件とは村内の模様で、一〇大字、六三六戸、三六八八人(大字別人口)、学校三、村役場(関戸)、御猟場事務所(連光寺)、宮内省御用邸(同)、農会事務所(関戸)、巡査駐在所二(関戸、乞田)、氷製造所(連光寺)、練糸製造所(乞田一、貝取三)、繭生糸商三〇戸、雑貨商三三戸、質屋六戸、旅籠屋二戸などが書上げられている。このほか神社、寺院、丸山講教会所(貝取)など郵便局にかかわるすべてが調査されている。この調査が行われた明治三十年度の、多摩村全体の郵便発信数は六五四九通、同受信数は一万二一二四通であった。
郵便数は多摩村の経済発展ともかかわっており、同時に物産表もつけられている。この表は貴重なのでそのまま表示すると表1―5―4のようになる。輸出のみ記されているが、移入も当然あったから、これにともなう通信も多い。当時は多摩村と周辺地域の距離が一層縮まり、密接な市場圏を形成しつつあった。
物産表 | ||||
東京府南多摩郡 | ||||
多摩村 | ||||
品目/種別 | 員数 | 価格 | 輸出地方 | 輸出方法 |
米 | 3,250石 | 32,500円 | 東京、横浜、八王子 | 車馬及汽車 |
麦 | 2,950石 | 14,750円 | 同 | 同 |
雑穀 | 400石 | 2,000円 | 同 | 同 |
繭 | 7,330石 | 7,000円 | 八王子、町田、府中 | 同 |
生糸 | 840貫 | 30,000円 | 東京、横浜、八王子、町田、府中 | 同 |
練糸 | 1,500貫 | 84,000円 | 東京、横浜、八王子 | 同 |
氷 | 500,000斤 | 4,500円 | 東京、八王子、府中、所沢 | 同 |
炭 | 55,000俵 | 5,500円 | 東京、横浜 | 車馬及汽車并川船 |
槙木 | 25,000俵 | 2,500円 | 同 | 同 |
縄 | 30,000束 | 300円 | 東京、八王子、府中 | 車馬及汽車 |
目籠 | 25,000個 | 1,250円 | 東京、八王子 | 同 |
雑製造品 | 25,000 | 100円 | 東京、八王子、府中、町田 | 同 |
柿 | 6,000 | 3,600円 | 東京、八王子、府中 | 同 |
水産 | 鮎、鯰、鰻、鰌、雑魚 | 1,500円 | 東京、府中 | 同 |
菜種 | 25石 | 350円 | 八王子、府中 | 同 |
材木 | 3,000本 | 4,500円 | 東京 | 車馬及汽車并筏 |
甘藷 | 19,380貫 | 582円 | 東京、八王子 | 車馬及汽車 |
履物 | 25,000足 | 1,750円 | 東京、八王子、府中 | 同 |
傘 | 5,000本 | 1,000円 | 東京、八王子、府中 | 同 |
茶 | 2,000斤 | 500円 | 東京、八王子、府中 | 同 |
鶏卵 | 6,000個 | 120円 | 東京、八王子 | 同 |
翌三十一年一月、郡役所は郵便局設置の理由が弱いので再考するよう請求した。これに対する多摩村の返答は明らかでない。明治三十五年一月、小野路に郵便局が新設され、多摩村は鶴川、忠生、稲城村とともにその集配区域に属す(『多摩町誌』358頁)。明治期はいまだ多摩村に郵便局はなかった。郵便切手売捌所は関戸の藤井保太郎家におかれた。