多摩村の富裕層

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多摩村の政治および経済担当者の性格をみておこう。近代的租税として明治二十年以来、所得税が導入されていた。八王子税務署管内にも五人の所得税調査委員が選ばれ、管内各町村民の所得を査定している。所得査定は各人の所得生成のしくみを明らかにしており、一種の富裕度の判定ともなる。
 大正元年度における南多摩郡内の所得調査を受くべき資格あるものは全体で一九一四人である。このうち八王子町が八三〇人、他町村一〇八四人である。所得税調査の有資格者を村別にみれば八王子町についで町田村、鶴川村、恩方村、日野町の順に人数が多い。経済活動の活発な地域に有資格者が多くなるのは必然である。多摩村は四六人で少ない方から三番目である。明治期を通じ所得税納入の有資格者の少ない村ということになろう。
 所得税は「此一箇年ノ間ニ於テ金三百円以上ノ所得アル人」(「所得調査参考記録」富沢政宏家文書)に課税されるものである。この三〇〇円以上の所得者は耕地からあがる所得、生糸織物など営業上の所得、貸金上の所得、俸給による所得が主たる内容であるが、経済が発展した町場ほど営業、俸給所得が多く、逆に農村部ほど耕地、貸金上の所得が多い。それゆえ農村では耕地を含め山林所有が多く、そのうえ質屋、銀行業など貸金業を営む人ほど所得が多くなるため、地主制の成長度が判明する。高所得者は地域の地主層であり富裕層であり、政治および経済上の主導者であるという性格をもつ。
 多摩村の明治三十五年度ないし三十七年度の所得調査を、各人の土地所有規模とともにみたものが表1―6―5である。表中で島崎義直は教員のため所有地はない。小形忠蔵も教員俸給が主であり、土地所有者としての性格は少ない。最大の耕地所有者は富沢清斉(後見人芳次郎)の一三町五反余歩、ついで杉田林之助の一一町七反余歩、富沢政賢九町七反余歩、岸為助九町一反余歩の順となる。各人とも山林または雑地の所有も多い。自作規模を二町歩程度とすれば、それ以外が小作地となる。多摩村の地主層は大規模ではなく全体が中小規模で、これらの人々中心の村政運営がこの村の特徴であった。
表1―6―5 多摩村の所得調査
氏名 明治29年
所得額
所有地 明治37年
所得額
山林・雑地
円 銭 畝 歩 畝 歩 畝 歩 円 銭
杉田林之助 1287 53 617 25 552 14 山397 16 1899 81
富沢清斉 964 07 460 07 894 15 雑5658 05 1063 12
岸為助 640 41 598 05 320 24 雑2228 18
佐伯彦蔵 617 63 553 24 220 27 雑255 09 475 63
横倉助太郎 583 77 184 01 384 10 雑1386 25 791 19
小泉良助 521 41 392 02 493 28 雑1249 15 577 10
横倉延造 492 82 238 29 289 25 雑1274 04 640 44
富沢政賢 487 59 345 07 633 25 山2754 17 *695 22
杉田慶助 445 70 103 02 104 25 山137 13 550 90
相沢兵蔵 422 02 457 26 137 16 雑619 24 453 00
相沢与一郎 397 46 353 15 374 17 雑263 07 433 18
市川太右衛門 359 46 232 06 152 04 雑677 22 700 73
島崎義直 332 70 333 70
高橋利平治 302 07 272 06 350 26 山108 22 306 19
小形忠蔵 300 79 41 02 103 14 雑81 22 475 22
新田信蔵 300 18 135 24 104 11 雑9 14 321 44
明治29年「所得調査参考記録」、明治37年「所得調査表」富沢政宏家文書より作成。
注)1 明治37年所得額 佐伯太兵衛567円70銭 小磯栄三郎302円69銭 伊野倉之助300円39銭 杉田武義300円 伊野伝治263円80銭
  2 *は明治39年の数値