御大典記念事業

360 ~ 362
大正四年(一九一五)秋に大正天皇の即位式典が京都で行われることから、御大典記念行事が全国各地で進められた。全国の自治体では、御大典にふさわしい規模や内容を計画して取組んでいった。
 多摩村における御大典記念事業は、大正四年の「御大典記念事業書類」(多摩市行政資料)によれば、団体と個人で行われており、団体では多摩村役場を中心にして村全体で行い、大字単位では連光寺が行い、学校では多摩村尋常高等小学校、その他の在地の団体では帝国在郷軍人会多摩村支部と多摩村青年会乞田支部、個人では村の有力者が記念事業に参加を表明している。以下、多摩村全村の記念事業をはじめ、諸団体等のそれを「御大典記念事業書類」より眺めてみよう。
 多摩村を「起業者」とした記念事業は植樹である。村民の宅地に桐を植樹するもので、数量は三二三〇本、一戸に付き五本(戸数六四六戸)の割当てである。植樹は、大正四年十二月中旬に住民が各戸において行い、成木になった時点で、五本の内二本は多摩村の基本財産に充て、三本は各自植栽保護料として交付される。枯損の場合は各自で補植し、配付は無償とする。桐の木は箪笥、長持、琴、下駄などの用材となり、女の子が生まれた時に植えると、嫁に行く時には箪笥の用材になるといわれている。村では桐の他に栗も計画した。一戸に三本宛、合計一九三八本を配付するもので、大正四年十二月中に植栽するとし、成木の上は収益を各自児童の奨学資金に充てるとした。配布は無償である。
 多摩尋常高等小学校では桐一二〇本を植樹し、収入は基本金造成に充てるとした。帝国在郷軍人会多摩村分会では、多摩尋常高等小学校運動場の周囲に桜木一〇〇本、会員宅地・所有地に桐一五〇本を植樹する計画をたてた。
 大正四年十月十五日、多摩村村長富沢政賢は、南多摩郡長宛に「御大典記念苗木無償配付請求書」を提出した。請求内容は、桐苗が三五〇〇本分で、その内訳は多摩尋常高等小学校分、多摩村住民分、在郷軍人会多摩村分会分と、それに、桑苗が一九三八本の請求で、多摩村住民配付分である。その他団体として多摩村青年会乞田支会では桐苗一〇〇本、杉苗一〇〇〇本、大字連光寺では松一万本を植樹したことを南多摩郡長宛に報告している。
 大正四年十一月十日、大正天皇は京都御所紫宸殿で即位礼を挙行された。御大典の行事が終わった後も、記念行事は続いて行われた。大正五年四月、多摩村では村議会で「多摩村御大典記念育英事業実施規程」の制定を議決し、同月二十六日に告示した(資三―319)。育英事業実施の方法は、師範学校か実業学校の在学生に学資を「補給」するか、発明・学術研究に従事する者に研究費を「補給」すると決めている(第二条)。
 多摩村では、この育英事業の規程をもとに、大正五年度において師範学校生徒一、農林学校生徒一、六年度には師範学校生徒三、農林学校生徒一、七年度には師範学校生徒二、農業学校一、園芸学校一、同八年度において師範学校二、園芸学校一、以上を「補給生」として入学させた(「多摩村巡視調査事項」)。多摩村では御大典記念事業として植樹と育英事業を設定し、後世に残る事業としたのであった。