多摩村の産業

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明治・大正から昭和の前半期にかけて、多摩村は純粋の農村地帯であった。大正六年(一九一七)の「多摩村勢一覧」(資三―300)によると、多摩村の職業は表1―7―4の通りで、農業に従事している戸数は全体の八四・五パーセントである。産業に関しては製造業のうちの「竹ニ関スル業」一一戸と「生糸・撚糸製造」六戸が注目されよう。
表1―7―4 大正6年 多摩村の職業一覧
職業 戸数 百分率
(%)
農業 568 84.5
製造業 41 6.1
 鍛冶職 (1)
 鋳造職 (2)
 生糸・撚糸製造 (6)
 木挽職 (2)
 竹ニ関スル業 (11)
 藁細工業 (2)
 建具職 (3)
 大工職 (7)
 豆腐製造業 (2)
 傘・提灯製造業 (2)
 下駄職 (3)
土木ニ関スル業 8 1.2
漁業 1 0.1
サービス業 38 5.7
 仕立職 (2)
 水車業 (4)
 運搬業 (4)
 理髪職 (4)
 物品販売 (22)
 人力車業 (2)
僧侶 (7) 7 1.0
教員 (5) 5 0.7
医師 (2) 2 0.3
その他 (2) 2 0.3
合計 672 100.0
『資料編三』No.300より作成。( )内は戸数。

 村の土地利用をみると、表1―7―5のように田が全体の一四・一パーセントで、畑は二二・六パーセントと田よりも多い。しかし南多摩郡全体の田畑の割合(但し大正元年)は、田が一に対して畑が三である。だから多摩村の場合は南多摩郡全体より、両者の関係が接近していることがわかる。
表1―7―5 大正6年の土地利用内訳
面積 百分率(%) 南多摩郡(%)※
町  
192.7912 14.10 10.2
309.7617 22.65 30.5
宅地 44.4804 3.25 4.3
山林 749.5901 54.81 45.2
原野 70.6910 5.17 9.8
池・沼 .0028 0.00 0.0
雑種地 .2528 0.02
1,367.5700 100.00 100.0
『資料編三』No.300より作成。
注)南多摩郡の%は大正元年の数値である。

 副業の主なものは養蚕と竹細工(目籠)で、その他、木炭製造、藁細工、下駄畳表製造などが農間や夜間作業として営まれていた(多摩市行政資料 大正九年十月「多摩村巡視調査事項」)。
 主要物産の生産高は年々増加していった。ことに、竹細工と下駄畳表の生産は著しかったが、木炭は年とともに減少の傾向にあった。生産増加については種子の選定を奨励し、「模範作地ノ設定」、「副業製作品」の発展を奨励した。これらはすべて村の勧業委員や産業改良実行委員が監督指導した。
 生産物のうち、穀物や豆類は東京・八王子方面、生糸は八王子・町田・横浜方面、繭は長野・群馬・山梨の各県、竹細工は主に東京、藁細工は八王子方面へ移出した(「多摩村巡視調査事項」)。
 第一次大戦後、日本の経済の発展にともない、交通の分野に関心がたかまり、道路の重要性が認識されるようになった。農村においては、農産物の商品化の進展や地方商品市場の成立によって、地主層も農村の里道だけではなく大きく府県道から国道に関心を示すようになった。
 交通手段も大きく変化していた。乗用馬車と人力車は減少期に入り、荷積用馬車(馬力)や牛車・荷車は大幅な増加を続けていた。そして自転車、オートバイ、タクシー、バス、トラックといった新来の車輌も急増を続けていたのである。ちなみに南多摩郡と多摩村の車輌数は表1―7―6の通りである。

表1―7―6 多摩村・南多摩郡の諸車輛数

多摩村の諸車輛数(含船)
大正6年
種類 台数
馬車 0
荷馬車 17
荷車 282
人力車 4
自動自転車 0
自転車 103
漁船 3
小船 6
『資料編三』No.300より作成。

南多摩郡の諸車輛数
大正11年3月
種類 台数
荷積馬車 343
牛車 6
荷積小車 6,351
乗用自動車 1
人力車 98
自動自転車 15
自転車 5,550
『南多摩郡史』より作成。