工産・林産・水産・畜産業

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大正九年(一九二〇)十月、「多摩村巡視調査事項」(多摩市行政資料)で、副業の主なるものとして養蚕・竹細工・木炭製造・藁細工・下駄畳表製造をあげており、これと対照させて大正六年の「多摩村勢一覧」の「工産」の欄には表1―7―12のように掲げられている。この八種の工業のうち絹撚糸を除いてはその大部分が副業として営まれていた。副業のうちで養蚕(大正六年価格八万一六六一円)に次いで大きな比重を占めていたのは竹細工、とりわけ目籠(メカイ)の生産であった。
表1―7―12 手工業生産額
大正6年
名称 産額 価格
目籠(メカイ) 814,000個 20,825
草鞋 56,000足 1,680
草履 23,000〃 690
下駄 500〃 175
下駄畳表 5,000〃 2,750
925房 463
生糸 618貫 43,733
絹撚糸 390〃 43,420
113,036
(ママ)
『資料編三』No.300より作成。

 目籠とは笊(ざる)のことで、しの竹の皮で編んだいれ物である。材料のしの(篠)は山から伐ってくる。目籠作りのしのはその年に生えたものがよく、旬は十一月から二月までとされている。不足分は問屋から購入した。皮剥ぎは田仕事が終った十一月から開始する。割って乾かしておいたしのを水に浸け、しのの皮を剥ぎやすくする。剥いだ皮が材料となり、身はかまどの焚物になった。目籠作りは農閑期の三月頃までで、どの農家でも生産に精を出した。成人男子の一日当たりの生産高は平均二〇枚であった。年末は特に忙しく、元旦の朝まで仕事をする場合もあった。できた目籠は仲買が集荷していった(『多摩市史叢書(11)多摩市の民俗(メカイ<目籠>関係資料』)。
 大正五年(一九一六)多摩と近隣の村の目籠作りの戸数と従業者数は表1―7―13の通りである。多摩村が全体の四八・九パーセントと約半分の生産量を占めていた。多摩村が周辺の村むらの中でいかに目籠生産が盛んであったかがわかる。因みに大正五年、多摩地域において竹製品の生産額は、八王子町二五四一円、西多摩郡一五八〇円、北多摩郡五〇〇円、南多摩郡は一万四一四四円と南多摩郡が群を抜いていた(『東京府史』行政編 第三巻)。
表1―7―13 多摩村と近隣村の目籠製造状況
大正5年
村名 戸数 従業数 関係する主な字
由井村 45 25 70 宇津貫
由木村 380 380 730 堀之内、東中野、大塚
多摩村 480 150 570 乞田、貝取、落合、連光寺
鶴川村 45 24 88 野津田
七生村 32 20 30 南平、三沢
982 599 1488 (男女計2087)
『南多摩郡の副業』より作成。

 大正八年一月に告示された「南多摩郡産業奨励要項」には「林業」の項目を設け植林を奨励しているが、多摩村における「林業」は薪炭材と木炭の生産が主体であった(表1―7―14)。炭焼きの仕事は丘陵地の農家の農閑期の仕事であった。十一月、十二月から木を伐りはじめ炭焼きにかかった。大正時代には生産された木炭は仲買人がみえ売るようになった。薪作りも農閑期の暮から春までの仕事であった。薪にはマキ・ナグリマキ・ソダ・モヤがあった(『東京府史』行政編 第三巻)。
表1―7―14 多摩村の林産・水産・畜産業
大正6年
産業 名称 数量 価格
林産 用材 185石 1,381
薪炭材 770棚 6,930
木炭 5,000  5,000
竹材 177束 137
13,448
水産 3,950貫 8,532
150  300
850  680
280  1,260
其他 250  656
5,480  11,428
畜産 4頭 800
94頭 9,500
70頭 1,680
家禽 4,945羽 2,228
14,208
『資料編三』No.300より作成。

 多摩川を控えて、多摩村では水産業に従う者もみられた。特に鮎漁は盛んで、魚の中で第一位を占めていた(表1―7―14)。
 畜産業では『南多摩郡史』によると、大正六年(一九一七)、南多摩郡における牛飼育は牝牡合計七九七頭、同じく養豚頭数は大正六年度末に二七五〇頭であるが、南多摩郡では大正八年度から一〇か年を期して牛・豚とも頭数の五割増を目指す計画を「産業奨励要項」で決めている。養鶏では南多摩郡内の飼育戸数は六〇六二戸であるが、大正八年から一〇か年の間に全農家に普及させることを決めている。多摩村の畜産は表1―7―14の通りである。