多摩村でも明治四十一年(一九〇八)以降、麦作・稲作立毛品評会を連年実施し、大正時代に入っても盛んに行われていた。東寺方の伊野富佐次は、村の品評会や六か町村の東部連合農産物品評会について「備忘録」(伊野弘世氏所蔵)に記録している。それを通して品評会について眺めてみよう。
大正四年(一九一五)九月、多摩村で第八回稲麦作立毛品評会の審査が開催された。伊野は審査員の一人として参加した。立毛とは田畑で生育中の農作物を指し、出来柄によって優劣を競うのが立毛品評会である。伊野富佐次は九月二十日の「備忘録」に次のように記している。
九月廿日 朝微雨後曇 多摩村第八回稲麦立毛品評会審査、本日ヨリ開始。
午前八時、役場ニ参集、審査員トシテ会スルモノ小金・有山・相沢ノ三氏ト予ノ四名ナリ。午前十時雨止ミタルヲ以テ審査ニ着手ス。先ズ諏訪下ヨリ馬引沢ニ至リ同所ヲ終リ、相沢兵吉氏宅ニ於テ昼食ヲ喫シ、之ヨリ船ヶ台ヨリ連光寺ヲ終リ同所路傍ノ小店ニ休憩シ、続テ関戸耕地ノ審査ヲナス。既ニシテ夕陽暗ク雨又降リ出テ同所ノ審査モ亦終了セルヲ以テ各自帰宅ス(伊野富佐次「備忘録」伊野弘世氏蔵)。
午前八時、役場ニ参集、審査員トシテ会スルモノ小金・有山・相沢ノ三氏ト予ノ四名ナリ。午前十時雨止ミタルヲ以テ審査ニ着手ス。先ズ諏訪下ヨリ馬引沢ニ至リ同所ヲ終リ、相沢兵吉氏宅ニ於テ昼食ヲ喫シ、之ヨリ船ヶ台ヨリ連光寺ヲ終リ同所路傍ノ小店ニ休憩シ、続テ関戸耕地ノ審査ヲナス。既ニシテ夕陽暗ク雨又降リ出テ同所ノ審査モ亦終了セルヲ以テ各自帰宅ス(伊野富佐次「備忘録」伊野弘世氏蔵)。
図1―7―2 伊野富佐次「備忘録」
第八回ということは、明治末年から連続していることを意味している。稲麦作というが九月の場合は時期的にいって稲作だけであろう。
審査は二日がかりで行っているようである。九月二十二日に残りを実施した。午前八時に役場に集合、参加者は二十日の四人の外に伊野平三と藤井保太郎が参加した。午前中に貝取・乞田の全部をすませ、午後は落合方面と和田・東寺方の二手に分れ、途中で雨が降ったがすべてを終了させた。「附点表」をつくり、終って村長から酒餐のもてなしがあり、午後九時に帰宅した。
翌五年四月八日、多摩村の稲麦作立毛品評会褒賞授与式と御大典記念農産物品評会ならびに連合稲麦作立毛品評会褒賞伝達式を小学校で挙行した(「備忘録」)。
大正五年五月には十一日と十二日に多摩村作立毛品評会の審査が行われた。審査員は十一日が四人、十二日が三人で終わらせた。九月にはいり十八日から二十一日の四日間で同じく稲作立毛品評会の審査を実施し終了させた。
その年の十一月二十一日から二十三日の三日間、南多摩郡東部連合農産物品評会が日野町の日野尋常高等小学校を会場として開催された。東部連合に参加の町村は、日野町・小宮村・由木村・七生村・稲城村それに多摩村の一町五か村で構成されている。各町村から一人審査員が出て、二十日、二十一日の二日間、果実・蔬菜・根菜類の審査に従事した。多摩村からは伊野富佐次が参加した。二十一日には午前十時から開会式が行われていたが、当日は剣舞、手品や撃剣等の余興が行われ大変賑やかであった(「備忘録」)。
大正五年もおしつまった十二月二十四日、南多摩郡の稲・麦・桑立毛品評会并養蚕物品品評会褒賞授与式が八王子町の府立織染学校で開催された。これにも伊野は審査員として出席した。
大正八年一月には「南多摩郡産業奨励要項」が郡より告示された。その中で普通農業・蚕糸業・畜産業・副業の各分野で品評会の開催を推進している。二か月後の同年三月には「南多摩郡勧業奨励規程」が同じく郡より告示され、南多摩郡における産業の奨励方針をここに確立させたが、この第一条で郡の助成の第一に品評会をあげ、第二章で「品評会ノ助成」を示して、第二条から第五条までを、それにあてている。品評会の助成金も、特に大正八年には、前年の四・七倍も急増していることが次の数字からもあきらかである。
大正六年度 六一円六〇〇 同 七年度 七八円〇〇〇 同 八年度 三六五円三四〇
同 九年度 三八三円〇〇〇 同 十年度 三七〇円〇〇〇 同十一年度 二二五円〇〇〇
品評会の外に共進会も開催された。大正十四年十一月十六日から二十六日まで、東京府主催全国農具共進会が立川町の東京府農事試験場内で開かれた。東寺方の伊野富佐次は一人で会場に出かけたが、会場で同じ村の佐伯太兵衛に会っている(「備忘録」)。展示品には、すり玄米調製器、精米器、揚水器があり、多くは石油発動機を動力として運転するもので、実演を見せている。大正期は農具の分野で機械化が開始された時であった。二人は時代の変化をどのように受けとめたのであろうか。
同 九年度 三八三円〇〇〇 同 十年度 三七〇円〇〇〇 同十一年度 二二五円〇〇〇
(『南多摩郡史』)
品評会の外に共進会も開催された。大正十四年十一月十六日から二十六日まで、東京府主催全国農具共進会が立川町の東京府農事試験場内で開かれた。東寺方の伊野富佐次は一人で会場に出かけたが、会場で同じ村の佐伯太兵衛に会っている(「備忘録」)。展示品には、すり玄米調製器、精米器、揚水器があり、多くは石油発動機を動力として運転するもので、実演を見せている。大正期は農具の分野で機械化が開始された時であった。二人は時代の変化をどのように受けとめたのであろうか。