地方改良運動

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南多摩郡の地方改良運動は、南多摩郡自治会を基軸として展開していった。そこで自治会が取組んでいた地方改良講話会・講習会、地方改良功績者表彰、区長及区長代理者設置、町村事務研究、地方視察、それに自治会報の発行を通じて、その活動を眺めてみたい。
 地方改良講話会・講習会のうち講話会は、大正六年(一九一七)十一月に町田町の町田尋常高等小学校と八王子市の府立織染学校で行われた。演題と講師は、町田町の場合は「農村改良と産業組合」平田東京府技師、「文明と農村」留岡中央報徳会講師、八王子市の場合は「自治ノ精神」安井法学士、「農業倉庫」平田東京府技師、「地方改良ノ項目ニ就テ」留岡中央報徳会講師であった。対象は町村名誉職員、町村吏員、青年団員その他で、二〇〇余人から三〇〇余人であった(『南多摩郡史』)。
 講習会は、大正八年から十三年にかけて毎年連続して開催された。大正八年には一月二十五日から三十日までの六日間、「地方改良並青年団幹部養成講習会」が八王子市の公会堂で行われた。演題と講師(所属名)は、「自治青年」東京府理事官、「町村財政」中央報徳会講師、「統計」内閣統計局統計官、「農家経済」農商務省事務官、「産業組合」東京府産業組合主事、「青年団指導奨励」帝国青年、「地方改良」中央報徳会講師であった。受講者は村長五人をはじめ、助役、書記、青年団員四一名、名誉職員、有力者、その他聴講者多数が出席した。この講習会は翌年から地方改良講習会と青年団幹部養成講習会の二つに分けて実施された。
 他方、地方改良功績者表彰は「南多摩郡地方改良功績者表彰規定」が定められている(『南多摩郡史』)。表彰の規定は、町村において「自治ノ実ヲ挙ケ」「事務ノ整理経営ノ成績」が顕著、町村長助役で勤続五年以上、町村吏員で勤続五年以上で功績顕著な者、団体・個人で「地方改良事業ニ尽瘁シ其ノ功績顕著ナル者」、「孝子節婦」等篤行者と決めている(第一条)。
 大正六年(一九一七)十二月、高尾山薬王院で第一回地方改良功績者表彰式が行われ、村長・助役・書記・訓導・使丁が表彰され、村長では多摩村の村長富沢政賢もこの栄誉に浴した。
 以後、多摩村関係者では、第二回(大正八年二月二十三日)に役場使丁勲七等高田運太郎、第四回(同十年三月二十日)収入役小形篤之助、第五回(同十一年二月二十六日)南多摩郡会議員佐伯太兵衛、村長藤井保太郎、書記小磯宇兵衛、第六回(同十二年三月四日)元助役で府会議員の小川平吉、多摩村書記小金豊成がそれぞれ地方改良功績者として表彰を受けている(『南多摩郡史』)。
 大正十二年十二月の自治会評議員会において、新しく「南多摩郡自治会地方功労者表彰規程」がつくられ、大正十三年一月より施行された。全文二条で内容としては「南多摩郡地方改良功績者表彰規定」とそれほど大きな差異はない(『南多摩郡自治会会報』三二号)。南多摩郡自治会で規定を設けた理由は十二年の郡制廃止に関連するものであろう。その第一回の表彰式が大正十三年四月二十七日、旧郡役所内で行われた。町村自治の開発改善に貢献した篤志家、勤勉成績貢献として南多摩郡下の二町七村の一〇名が表彰を受けた。そのなかに多摩村書記飯島五郎の名がみえる(『南多摩郡自治会会報』三四号)。
 ところで、三多摩の各郡では大正八年、町村自治の振興策として町村長の補助機関である「区長及区長代理者設置」に努力していた。大正八年、各郡それぞれ設置をみたが、南多摩郡は一八か町村のうち七か村、西多摩郡は二二か町村中一二か町村、北多摩郡は三五か町村中三か町村に実施をみた(『東京日日新聞』大正八年六月十一日付)。多摩村では大正八年二月二十四日の村議会で「多摩村区長及区長代理者設置規定設置ノ件」を可決(大正八年「事務報告」)、四月一日公布された(七章一節参照)。
 町村事務の研究も行われた。南多摩郡一八か町村を三つに区分して六年、七年、八年に各一回、十二年に一回実施している。この他にも七年七月に郡役所内で行い、その他、町村事務の主任会議は毎年問題を掲げて実施されている。例えば八年九月十三日、多摩村を会場として行われた町村事務研究会には、小宮・日野・七生・由木・多摩・稲城の一町五か村の主任者(収入役・税務主任)が出席し、主として国・府・町村税務に関する事務について、午前中は会場役場の書類帳簿の閲覧、午後は協議と「実験談」を実施した。
 内務省から選奨された全国の模範村や優良村の地方視察も盛んであった。大正八年十一月には滋賀県野洲郡小津村と高島郡青柳村を視察した。視察員は町田町助役、由木村助役、小宮村収入役、多摩村・稲城村・浅川村の書記、それに郡書記の七人で、多摩村書記は小磯宇兵衛が参加した。大正十年には愛知県へ、十二年には山形県へ地方視察を実施している。
 南多摩郡自治会では会則で会報の発行を規定している。大正十年五月一日にその第一号を発行した。『南多摩郡自治会会報』がそれである。発行回数は月一回、半紙二つ折り四頁で、大正十四年六月までに三九号を発行した。内容は南多摩一八か町村の行政や地方改良運動にそって講演会・講習会や青年団活動、生活改善、産業組合、功績者表彰、地方視察報告などが盛りこまれている。なかでも大正十二年九月の関東大震災の時には、通信機関の杜絶に直面して、発布された詔書・法令等の全文と法令の索引を会報に載せ、さらに郡内の被害状況や後援事務状況を町村へ提供する役割を果した。

図1―7―4 南多摩郡自治会会報