このような時に、大正八年(一九一九)三月、原敬内閣の内相床次(とこなみ)竹二郎は「民力涵養」に関する内務省訓令を道府県知事に伝達した。民力涵養の計画は、七年夏の米騒動と第一次大戦終結(十一月)後の「戦後経営」の方向づけとして、物価騰貴と社会不安が高まる世相の中で、国民生活の充実としてかかげ、国民的運動として推し進めようとした(『内務省史』第一巻)。
これを受けて府知事井上友一は、同年六月二日、郡市区長会議で「戦後必行要項」を示した。この「戦後必行要項」は、当時の新聞が報道しているように東京府の民力涵養ともいうべきもので、内容は「標的」と「実行方法」に分け、「標的」で第一から第三まで次のように掲示している。
第一、生活の安定を図ること
第二、国民的信念を旺ならしむる事
第三、民資増殖を奨励する事
第二、国民的信念を旺ならしむる事
第三、民資増殖を奨励する事
「実行方法」では、「標的」に掲げたそれぞれの項目について、さらに小項目を掲げて説明を加えている(『東京日日新聞』大正八年六月三日付)
南多摩郡の町村においては、東京府の「戦後必行要項」にならって同年十月、「南多摩郡町村戦後必行要項実施細目」を公布した。南多摩郡の「戦後必行要項」は東京府のそれとほとんど同一のものである(『日野市史史料集』近代2)。内容の要旨は、例えば「第一生活ノ安定ヲ図ル事」の「(二)社会生活ノ改良」においては、戸主会、自治会その他の団体を通じて冠婚葬祭・入退営兵の送迎費の節約、社交上の宴会の簡約、集会の時間厳守、昼眼(昼寝)の惰風、夜遊びの弊風の禁など、以前に実施された事項の再確認の感が強い。
東京府の「戦後必行要項」が公布された翌七月から、東京地方改良協会主催による民力涵養講習会が各地で実施されていった。多摩地方では大正八年八月十二日から十七日にかけての六日間、立川村(立川市)の府立二中で開催された。講習の対象は三多摩地域の町村長以下村吏、小学校教師、青年団指導者らの約二〇〇人で、講師は明治・大正期の哲学者井上哲次郎の「立国大義」をはじめ内務・大蔵省の書記官、大学教授らによる講演であった(資三―303)。
これとは別に十月から翌九年二月にかけて、郡主催第一回講演会が十月十七日、町田町小学校で行われた。一五〇名の聴講者を前に、南多摩郡長内山田三郎は「戦後必行要項」の実施方法について講話をし、東京府主事は「民力涵養実行方法」を話した。十八日には七生村(日野市)の潤徳小学校、十九日には元八王子村(八王子市)の小学校で開催された。
大正九年二月二十五日から二十九日にかけて、東京府改良協会主催により民力涵養講演会が元八王子村、小宮村(八王子市)、多摩村(多摩市)、堺村(町田市)、七生村(同上)の小学校で活動写真を上映して実施された。「民涵写真会」は盛況を極め、「多摩村にては一千余名の盛況を呈し何れも多大の喝采を博」した(『東京日日新聞』大正九年二月二十九日付)。
ところで、『東京日日新聞』(大正八年十二月十六日付)によると、南多摩郡各町村における「民力涵養実行事項」を報じている。それによると、各町村では民力涵養実行方法を具体的に決め着手しているという。多摩村での実行事項は次の内容で実施された。婦人会の会員三〇人が貯蓄、小学児童が毎日一銭を貯蓄、青年団各支部では模範桑園と米麦模範作地を設け、桑苗は青年団が共同購入し種子は村農会から配布と決め、さらに入退営兵の区別を廃止し、冠婚葬祭の節約については翌年一月の村民総会で決めるとしている。他町村で目立つ事業は、植林、桑園改良、冠婚葬祭費の節約であるが、多摩村の場合も貯蓄と節約、共同購入による経費節減を実行している。
この民力涵養と地方改良の両者の間にはどのような相異があるのだろうか。このことについて東京府の一主事は「地方改良といい民力涵養といい畢竟同意義にて只字句の異なるのみに過ぎざるが、之等は急激に改善を期するよりも寧ろ漸を追うて所謂歩一歩宛進むを可とす」と述べている(『東京日日新聞』大正八年十二月三十日付)。
政府の方針のもとに「民力涵養」が着手されて一年半後の大正九年十月、すでに第一節で触れたが、上部機関による多摩村巡視がなされた。その「多摩村巡視調査事項」には「自治ノ開発」の項目がみられ、七小項目に分けて調査結果が報告されている。冒頭で触れたように「地方自治」と「地方改良」が同義であるという見地から、巡視調査事項の「自治」を「地方改良」に置きかえるならば、この調査報告は、南多摩郡役所による多摩村の「地方改良」、さらには「民力涵養」の評価とみることができる。
右の七小項目とは、「村是実行並其ノ成績」、「自治思想ノ向上ニ関スル施設」、「敬神思想ノ涵養ニ関スル施設」、「育英事業ノ状況」、「勤倹貯蓄心ノ養成ニ関スル実行」、「風俗ノ作興ニ関スル施設」、「娯楽ニ関スル施設」で、まさにそれは地方改良そのものである。
以上の小項目について、村の方針を提示した「村是」では、産業の発達、教育の普及を大前提とし、「自治思想ノ向上」では愛郷心を助長し、村の自治の経営を徹底させ、すべて協力一致のもとに自治思想の涵養を指導しているとし、「敬神思想ノ涵養」では、神社の恒例祭式を厳格に行い、小学校児童や青年団員に必ず参拝させ、同時に敬神崇祖の精神涵養に関する訓諭を行いつつあるとしている。「育英事業」では、大正五年(一九一六)四月、村会議決を経て多摩村御大典記念育英事業実施規程を設定し、師範学校・農林学校・園芸学校に入学させている。「勤倹貯蓄心涵養」については、冠婚葬祭に関して節約の規約を設け、村の諸団体や小学児童に貯金を実行させつつある。「風紀の作興」では、青年会員に敬老、尚善、人道の本義を示して武士道気質を涵養しており、「娯楽」については体育奨励上から撃剣、相撲など農間に各青年会支部で実行しつつあると記されており、以上のように調査報告がなされている。
ここにまとめられた「多摩村巡視調査事項」の「自治開発」は、大正時代における多摩村の地方改良と民力涵養の方向づけとそれなりの成果を略述したものと考えられる。