大正十年(一九二一)九月三十日、多摩村にようやく、特別大演習の事務打合せに関する通知が、南多摩郡役所から届いた(資四―31)。同年十月六日、八王子の桑都公会堂で南多摩郡役所主催の特別大演習に関する町村兵事主任、在郷軍人分会長、青年団長の会議が開かれ、期日が迫っているにもかかわらず、三九項目にもおよぶ事項について協力が求められた。
そこでは軍隊の宿営可能な施設の調査から、村内略図の作成、「宿舎心得」の配布、飲用水と馬用水の準備、馬繋場の設置、古井戸や肥料溜などの危険箇所の整備、障害物となる樹木の除去、道路と橋の修繕、伝染病患者と患畜の調査と標示、国旗掲揚など、ことこまかに指示されている。また、演習部隊による被害については損害賠償を受けられたが、それ以外の見物人が耕地を踏み荒らすケースは一切認められなかった。そのため、農家に大演習実施前の農作物の収穫を勧める一方で、在郷軍人分会員、青年団員、消防団員を村内の警備と拝観者の取締にあてるよう指示している。在郷軍人と青年団員は、のちに所属部隊から落伍した兵士の案内にも動員されている(資四―35)。会議では、このほかに飛行機観覧者への注意事項と、民衆への飛行機に対する注意事項も伝えられていた(資四―32)。
事務打合せ会議での指示にのっとり、多摩村では軍隊の宿営可能な家屋の調査に乗り出し、十月二十九日に報告書を作成した。このなかで、寝具が不足しているものの、合計五〇七部屋、四五一五畳が宿営可能と南多摩郡長に報告している(資四―34)。また十一月二日には、多摩村は特別大演習に関する事務委員を設置し、区長、在郷軍人分会員、青年会員から四七人を選任して、役場職員と庶務・被害調査・宿舎・物資・道路指導の各係を分担している(資四―38)。
こうして村レベルで準備が進められるなか、南多摩郡役所は十月二十九日に、事務打合せ会議で指示した事項の進捗状況に関する報告を村長に求めた。その回答として、多摩村は十一月九日、該当する二〇の項目に関する「特別大演習実施ニ付準備計画事項報告案」をまとめている。それによると、多摩村では十一月五日に、軍隊の宿営可能な家屋の玄関先に間数と畳数を標示した。同月八日には、軍隊の宿営に応ずる家庭に「宿舎心得」を配布し、村内に湯呑所を二か所設置して、土びん一〇個、馬用水供給のための四斗樽を各五個準備している。拝観者の取締を在郷軍人分会員と青年会員に依頼し、馬繋場の予定地も同日選定したと報告している(資四―36)。
このように多摩村の準備は、大演習実施の十一月に入ってから、急ピッチで進められた。そのことを象徴するかのように、「準備計画事項報告案」のなかには、報告期日までに間に合わず、これから実施する予定という項目がいくつか存在している。
多岐にわたる事務に追われていたことと、どれだけ関係があるかわからないが、多摩村は拝観を希望する団体の報告を、七月二十七日と八月十九日に二度、南多摩郡役所から求められていたにもかかわらず、付き添い将校の説明による拝観を希望する村内の団体はなかった。八王子・町田・忠生・小宮・堺・川口・加住・由井・由木の近隣市町村の学校や青年団などがこの拝観計画に参加していたが、多摩村は「準備計画事項報告案」のなかでも「計画ナシ」と記している。