ところで実業補習学校は、明治二十六年(一八九三)十一月の「実業補習学校規程」にはじまる。規程によれば、「諸般ノ実業ニ従事シ又ハ従事セントスル児童ニ小学校教育ノ補習ト同時ニ簡易ナル方法ヲ以テ其ノ職業ニ要スル知識技能ヲ授クル所」(第一条)と定めている。入学資格は小学校卒業以上とし、学齢を過ぎたものには小学校を卒業していなくとも入学を認めた。三十五年一月には、規程は全面的に改正され、土地の状況に応じ、授業時間、修業期間、教科目の選択等について大幅な自由裁量が認められた。そのもとに多摩においては明治四〇年代に二校から五四校へと急増した(鈴木健一「実業補習学校の展開」『多摩のあゆみ』第四一号所収)。
多摩村立実業補習学校は多摩地域では遅れて発足した。大正四年一月八日、村会で設立を決め、同月十二日に申請し、同月中に発足した(「事務報告」)。多摩村立多摩実業補習学校は、多摩尋常高等小学校に付設された。設置の目的は「農家ニ必要ナル知識技能」を授けると同時に「普通教育ノ補習」を行うこととしている。生徒は男子で定員七〇人、甲種と乙種に分け修学は一年間、授業科目は国語・算術・農業の三科目、週一二時間で授業は夜間行い、毎年十二月一日から三月二十日までの農閑期をあてている。甲種は高等小学校卒業程度、乙種は小学校卒業程度と決めている(資三―316)。農閑期とはいえ真冬の夜道の、それも場所によっては学校まで四キロメートル以上の道程もあることを考えると、通学だけで大変な負担となる。それでも実績は好成績を収めている。大正五年二月の「事務報告」には次のように記載されている。
実業補助学校
一月ニ創立シ学科ハ農業科ニシテ生徒数八十一人、教員ハ三人ニシテ授業料ハ徴収セズ 而シテ全生徒該学科ヲ終了セリ
一月ニ創立シ学科ハ農業科ニシテ生徒数八十一人、教員ハ三人ニシテ授業料ハ徴収セズ 而シテ全生徒該学科ヲ終了セリ
(大正五年度「会議書類」議会事務局蔵)
大正九年十一月二十八日、多摩村村議会では「多摩村立実業補習学校学制改正」を協議した。改正の理由は、「世界大戦後、社会ノ進運ニ伴フ施設ヲナス必要ヲ認メ本学則ヲ改正セントス」としている。学制改革の大きな特色は、二か年の初等科と四か年の高等科を設け、女子の入学を認め(授業は昼間午前九時~午後四時)、学年は四月一日から翌年の三月三十一日までの通年としたことである(大正九年度「会議書類」多摩市議会蔵)。
この改正の直後、九年十二月十七日に文部省令第三十二号により改正された「実業補習学校規程」(改正実業補習学校規程)が発令された。この改正はさきの臨時教育会議の答申に基づく改正で、実業補習学校の改革であった。
改正実業補習学校規程に基づいて大正十二年二月二十七日、「多摩村立実業補習学校学則改正ノ件」が村議会に提出され可決された。改正された学則の特色は、「実業補習学校規程」(議会事務局蔵)によると、課程を「前期」と「後期」とし、小卒者は「前期」、「前期」課程修了者及び高卒者は「後期」に入学、男子は「前期」二年、「後期」三年で修業し、女子は「前期」「後期」とも二年で終了とした。授業時数は、男子は「前期」二〇〇時、「後期」一六〇時、女子は「前期」二八〇時、「後期」は二一〇時とした。学科目、内容、時間数は、男子部と女子部は表1―7―19の通りに決められた。授業の終始は朝間・昼間・夜間と適宜に定め、授業料は徴収しないとした。
表1―7―19 多摩実業補習学校の学科目と授業数
前期 | 後期 | |||||||||
学科目 | 教程 | 一学年 | 二学年 | 計 | 学科目 | 教程 | 一学年 | 二学年 | 三学年 | 計 |
修身 | 道徳ノ要旨 | 二〇 | 二〇 | 四〇 | 修身 | 公民心得 | 三二 | 三二 | 三二 | 九六 |
国語 | 普通文・講読 作文・習字 | 八〇 | 八〇 | 一六〇 | 国語 | 普通文・講読 作文・習字 | 三二 | 三二 | 三二 | 九六 |
数学 | 算術 筆算 珠算 | 六〇 | 六〇 | 一二〇 | 数学 | 実用数学 | 二四 | 二四 | 二四 | 七二 |
理科 | 理科大要 | 四〇 | 四〇 | 八〇 | 農業 | 地方農業上適切ナル事項 | 七二 | 七二 | 七二 | 二一六 |
農業 | 農業大意 | |||||||||
計 | 二〇〇 | 二〇〇 | 四〇〇 | 計 | 一六〇 | 一六〇 | 一六〇 | 四八〇 |
前期 | 後期 | ||||||||
学科目 | 教程 | 一学年 | 二学年 | 計 | 学科目 | 教程 | 一学年 | 二学年 | 計 |
修身 | 道徳ノ要旨作法 | 一八 | 一八 | 三六 | 修身 | 道徳ノ要旨作法・公民ノ心得 | 三五 | 三五 | 七〇 |
国語 | 普通文ノ講読 作文・習字 | 八七 | 八七 | 一七四 | 家事 | 衣食住・育児 看護・家計ニ関スル一般事項 | 一七五 | 一七五 | 三五〇 |
数学 | 算術 筆算 珠算 | 七〇 | 七〇 | 一四〇 | |||||
裁縫 | 通常衣類ノ裁チ方繕ヒ方 | 一〇五 | 一〇五 | 二一〇 | 裁縫 | 通常衣類ノ裁チ方繕ヒ方 繕ヒ方 | |||
実習 | 地方的実習ノ大意 | 実業 | 地方実業上適切ナル事項 | ||||||
計 | 二八〇 | 二八〇 | 五六〇 | 計 | 二一〇 | 二一〇 | 四二〇 | ||
大正十二年二月の学則改正の後は、十四年三月、「東京府実業補習学校施設要項ニ因リ」名称を変更して多摩村立多摩農業公民学校となり(十四年七月三十一日認可・多摩市行政資料)、十五年六月十五日に「本村立農業公民学校ノ内容改善並青年訓練所ニ充ツル必要上本学則ヲ改正セントス」(大正十五年度「会議書類」多摩市議会蔵)という理由で改正され、男子の後期に一、二年は五〇時間、三年は一〇〇時間、新しく教練が課せられた。教練には「各個教練・部隊教練・軍事的訓練」があった。
大正十五年六月十六日、多摩村村長より府知事宛に「青年訓練所設置認可申請」が出された。前日の村議会で可決されたもので、名称は「東京府南多摩郡多摩村立多摩青年訓練所」と称し、多摩農業公民学校に併置されるとしている。訓練生は一六歳から二〇歳まで合計一五二名で、補助金を村費で維持すると記載している(多摩市行政資料)。
青年訓練所は男子勤労青年を対象に、主として軍事訓練を行うため設置された教育施設で、その背後には、陸軍が勤労青年との接触面を拡充し、軍人による国民統合をはかろうとの意図があった、といわれている。多摩青年訓練所規則によると、目的として青少年の心身の鍛練と国民としての資質の向上を掲げている(第一条)。訓練期間は四年で(第三条)、訓練項目は修身および公民科、教練、普通学科、職業学科で、四年を通して総計八〇〇時間、そのうち教練は四〇〇時間で全体の半分を占めていた。教練の内容は、各個教練・部隊教練・陣中勤務・旗信号・距離測量・軍事講話であった。七月一日、多摩小学校で開所式を行った。