南多摩郡の被害

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東京・横浜や震源地に近い小田原をはじめ湘南地帯の被害は激しかったが、多摩の場合、多摩村が含まれる南多摩郡はどのような被害を受けたのであろうか。
 南多摩郡では南多摩郡自治会が月二回発行しているガリ版刷りの『南多摩郡自治会会報』(以下『自治会報』とする)がある。南多摩郡自治会は、郡内の自治行政に関係した官公吏・名誉職・実業家・有職者等によって結成された団体である。関東大震災には南多摩郡の町村や八王子市の災害、救助活動について詳細に報道したが、九月二十二日の三〇号から震災記事を掲載している。

図1―8―2 『南多摩郡自治会会報』による罹災状況

 『自治会報』によると、南多摩郡は南部地方、即ち神奈川県に近接するにしたがって「被害の激甚なるを知る」とし、具体的に町田町、南村、忠生村、鶴川村、堺村(以上町田市)をあげ、それについで由木村(八王子市)、多摩村の町村名をあげて倒壊家屋の多いことを記している。
 さらに南多摩郡内で倒壊家屋の多い箇所で知り得たのは次の通りであるとして、町田町原町田は総戸数六八〇のうち一三〇程倒壊、忠生村図師は一六〇のうち二四、南村高ヶ坂は六七のうち一八、鶴川村小野路は一九六のうち四六(以上町田市)、稲城村百村(稲城市)は六一のうち一二、多摩村船ヶ台は四〇のうち一四、由木村南大沢(八王子市)は七六のうち一一である。多摩村船ヶ台の倒壊一四は被害の大きい地域にランクされていることがわかる。
 町村の罹災者で家屋を失った者は、近隣や縁故者のもとにそれぞれ身を寄せ、半壊となって居住不安の者に対しては青年団や在郷軍人分会員、或いは近隣の者が家屋を起こすなどの応急処置に尽力した。
 いっぽう、官公署や学校等の営造物も、激震により郡の東南部を主体に半壊あるいは大破した。各地の町村役場の建物は壁が落ち、ガラスが破れるなどの被害を受けた。とりわけ由井村(八王子市)では役場の倉庫が倒壊し、事務室も大破した。由木村でも役場の玄関が全壊し、その他にも大破の箇所があり、損害は甚大であった。
 小学校も建物の被害が多く、理化器械が損害を受け、なかでも堺村(町田市)小山小学校のように間口二三間(約四二メートル)、奥行五間(約九メートル)の一棟は半壊した。
 郡部における被害に対し、南多摩郡のほぼ中央に位置していた八王子市の被害も大きかった。八王子市の大正十年の戸数は八〇六六、人口は四万一〇〇一人であったが(大正十五年刊『八王子』)、九月十日に、八王子市長の平林定兵衛が東京府に出頭したさいの、市内震災概況報告によると、被害は即死四、重傷四、軽傷五、建物全壊六一戸、半壊一五一戸、破損九二〇戸であった(八王子市史編さん委員会『八王子市史附編』)。南多摩郡役所の建物も大破した。
 道路、橋梁、治水等の分野でも被害は大きく、交通途絶の箇所も少なくなかった。これらの復旧工事費は、府費支弁分で堤防三六万七六〇〇円、道路八四か所で一〇万一〇〇〇余円、橋梁二万八六〇〇余円にのぼり、町村費支弁分で合計一七万四五〇〇余円にのぼった。