経済更生実行組合と産業組合の設置

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次に、農山漁村経済更生運動の組織面について若干掘りさげてみよう。更生運動の組織面で、最末端組織として実際に運動を推進することを期待されたのは、各区ごとに設けられた経済更生実行組合である。この点は、先にもみたように更生計画や生活に関する「申合規約」が村レベルだけではなく、経済更生実行組合(=区)や村内の地域的自治組織でも行われていたことからも理解されるだろう。表1―9―5・6から明らかなように、ここには村議、区長、納税区世話掛といった各地域のまとめ役や世話役を果たしていた人物がほぼ網羅されているほか、農家小組合の組合長、それに農民組合の幹部経験者の名前さえもみられる。このことから経済更生運動が、農業恐慌や「非常時」意識をバネに、大正期に様々な形で広がった村の担い手を行政的に網羅した全村的体制、つまり「挙村一致」がつくり出される大きな契機となっていたことがわかる。またここには、青年層も多数組み込まれている。彼らは、青年団や在郷軍人分会の幹部、それに役場職員などであり、村の次世代を担う中心人物と目されるような人々であった。経済更生運動は「挙村一致」状況のもと、その過程において村の担い手の枠を一層押し広げていったのである。
表1―9―5 各経済更生実行組合の役員一覧
組合名 役員
経済更生実行組合第一区(関戸・貝取飛地) 福井万吉(組合長)・小山玉治(副組合長)・小林万平(副組合長)・軽辺義二・小山文一・小川淳・須藤藤吉・石坂卯兵衛・相沢喜四郎・相沢庄蔵・相沢祐一
経済更生実行組合第二区(連光寺本村) 小山茂左衛門(組合長)・田中政之助(副組合長)・樹所喜之助・小山要蔵・小島秀政・城所彦次郎・秦伊勢太郎・土方小左衛門・土方武治・富沢武平
経済更生実行組合第三区(馬引沢) 小形喜久治(組合長)・相沢兵吉(副組合長)・小形政治・増田保明
経済更生実行組合第四区(下河原) 佐伯源左衛門(組合長)・宮崎寅蔵(副組合長)・加藤吉左衛門・高野盛三・高野雄一・佐伯嘉重郎・朝倉一太郎・朝倉藤太郎
経済更生実行組合第五区(東部) 長沢末四郎(組合長)・萩原利作(副組合長)・萩原銀之助・萩原幸作・萩原大助
経済更生実行組合第六区(貝取) 伊野平三(組合長)・森久保芳太郎(副組合長)・伊野善左衛門・伊野平吉・市川宗治郎・新倉弥蔵・浜田正之・鈴木万吉
経済更生実行組合第七区(乞田下) 佐伯律太郎(組合長)・馬場勇蔵(副組合長)・下野三四郎・加藤猛雄・根岸虎吉・佐伯芳雄・佐伯房吉・小磯伝太郎・小磯美代治・小林利兵衛・馬場政一
経済更生実行組合第八区(乞田上) 有山周二(組合長)・新倉城之助(副組合長)・小磯光治・新倉富作・峰岸文治・有山玄之甫・有山広三郎・有山庄蔵
経済更生実行組合第九区(落合下) 有山貞一郎(組合長)・小林利政(副組合長)・小山律・寺沢音三郎・寺沢仲一・峯岸庄太郎・加藤彦五郎・小林鶴吉・加藤平蔵
経済更生実行組合第十区(上落合) 横倉頼助(組合長)・横倉與之助(副組合長)・小泉喜三郎(副組合長)・横倉仙吉・小泉喜六・峯岸弥市
経済更生実行組合第十一区(上和田・百草) 西川幸次郎(組合長)・臼井平兵衛(副組合長)・河内光治・森川民蔵・石坂茂三郎・増島〓・峯岸銀蔵
経済更生実行組合第十二区(中和田・並木) 平山多四郎(組合長)・柚木晴吉(副組合長)・伊野仲明・高橋玉作・青木誠一・内田亮・野島延蔵・柚木荒吉
経済更生実行組合第十三区(東寺方・落川) 藤井伊平(組合長)・新倉佐兵衛(副組合長)・尾形春吉・杉田英一・伊野繁二・新倉勘七・増田峯吉・朝倉岩吉・尾形覚蔵・並木富久次・有山梅吉
経済更生実行組合第十四区(一ノ宮) 山田富蔵(組合長)・佐伯良助(副組合長)・永井竹一・佐伯仙蔵・佐伯末広・山田賢助・中川晋・小暮幸一
備考:表記のないものは幹事。
出典:多摩市行政資料などより作成。

表1―9―6 各更生実行組合の組合長と副組合長の経歴
氏名 役職 経歴
福井万吉 第一区 組合長 電灯架設委員・関戸区会議員
小山茂左衛門 第二区 組合長 納税区世話掛・経済更生委員会
小形喜久冶 第三区 組合長 区長・区長代理・消防組小頭・衛生組合長
佐伯源左衛門 第四区 組合長 区長・納税区世話掛・経済更生委員会
長沢末四郎 第五区 組合長 青年団支部長・経済更生委員会・消防組小頭・在郷軍人分会評議員
伊野平三 第六区 組合長 村役場書記・村会議員・助役・村長・納税区世話掛・電灯組合長・出荷組合長・貝取区会議員・消防組頭・学務委員・経済更生委員会
佐伯律太郎 第七区 組合長 村役場書記・経済更生委員会
有山周二 第八区 組合長 出荷組合長
有山貞一郎 第九区 組合長 村役場書記・落合白山神社総代・村会議員・衛生委員・農事改良実行組合長・農会評議員・落合地区青年会/理事
横倉頼助 第十区 組合長 村会議員・衛生組合長・衛生委員・納税区世話掛・区長・電灯組合幹事・落合青年会副会長・経済更生委員会
西川幸次郎 第十一区 組合長 十二神社氏子総代・農会総代/評議員・養蚕組合長
平山多四郎 第十二区 組合長 村会議員・消防組部長・学務委員・経済更生委員会
藤井伊平 第十三区 組合長 青年団文芸部長・青年団幹事
山田富蔵 第十四区 組合長 村会議員・小野神社氏子総代・区長代理・農事改良実行委員・学務委員・消防組部長・区長・農会評議員・区会議員・経済更生委員会
小山玉治 第一区 副組合長 在郷軍人分会理事/班長/評議員・青年訓練所指導員・経済更生委員会
小林万平 第一区 副組合長 熊野神社氏子総代・消防組部長・納税区世話掛
田中政之助 第二区 副組合長 多摩村農会総代・衛生組合長・消防組部長・電灯組合委員
相沢兵吉 第三区 副組合長 村会議員・区長代理・区長・納税区世話掛・衛生組合長・電灯組合委員・農会評議員
宮崎寅蔵 第四区 副組合長 消防組小頭
萩原利作 第五区 副組合長 村会議員・氏子総代・消防組小頭
森久保芳太郎 第六区 副組合長 衛生組合長・消防組小頭・農会総代
馬場勇蔵 第七区 副組合長 多摩村農会総代・衛生組合長・区長代理・納税区世話掛
新倉城之助 第八区 副組合長 農事改良実行組合長
加藤平蔵 第九区 副組合長 落合白山神社氏子総代・区長
小林利政 第九区 副組合長 農会総代・農事改良実行組合長・養豚組合長・養鶏組合長・区長代理・消防組部長・落合地区青年会幹事/理事
横倉與之助 第十区 副組合長 村会議員・落合白山神社氏子総代・区長代理・農事改良実行委員・電灯組合委員・養鶏組合長・落合地区青年会周旋方/幹事/副会長
小泉喜三郎 第十区 副組合長 区長代理・納税区世話掛
臼井平兵衛 第十一区 副組合長 納税区世話掛
柚木晴吉 第十二区 副組合長 青年団支部長
新倉佐兵衛 第十三区 副組合長 村会議員・区長代理・農会総代・納税区世話掛・電灯組合委員
佐伯良助 第十四区 副組合長 小野神社氏子総代・区長・区長代理・消防組小頭
出典:多摩市行政資料などより作成。

 この経済更生運動を契機とする「挙村一致」状況は、それまで行政と各地域的自治組織が形作っていた重層的な村のあり方に、大きな変貌をもたらすきっかけともなった。経済更生運動では、「計画的」な様々な農業生産改良策、例えば小麦採種圃の設置であるとか桑園の整理、自給肥料としての緑肥の栽培奨励などが、府から指導されている。これらは村を通じ、最終的には農家小組合などにより実施されるわけだが、その際には村から「割当て」という形で目標が降ろされるとともに、必ずなにがしかの補助金が支給されるようになった(資四―82・83)。このため、それまで行政を補完する役割を果たしていた地域的自治組織は、徐々に行政の受け皿となり、下請機関としての性格が強まっていったものと考えられる。
 こうした村のあり方の変化を如実に示すものが、昭和九年(一九三四)十月に実現した部落有財産の処分と財産区の廃止である(多摩市行政資料)。この部落有財産と財産区は、明治二十二年の明治町村制施行により多摩村となった旧八か村の共有財産を管理するため設けられたものである。しかし、政府はこれを部落割拠の状態を許し、町村の統一を大きく阻害するものであるとし、長年にわたりその整理を強力に指導したが、この時点までほとんど手つかずのまま残されていた。昭和四年(一九二九)七月の東京府の指導に対して、部落有財産の統一と区会の廃止は「真に至難のことに有之候」と多摩村は回答している(多摩市行政資料)。
 この「至難」な部落有財産統一事業が、経済更生運動が展開する過程で実現しているのである。抜本的な整理とはいいがたいものではあったが、長年の懸案であった部落有財産の処分と財産区の廃止が実現したことは、経済更生運動のもとで進んでいった「挙村一致」状況の確立と地域的自治組織の変化を端的に象徴するものであった。
表1―9―7 部落有財産処分の状況1・面積(昭和9年)
財産区 村有反別 共有反別 共有名義人数 合計反別
関戸 2町  7畝 6歩 3町8反    10 5町8反7畝 6歩
連光寺 4町4反7畝28歩 8町3反1畝 9歩 18 12町7反9畝 7歩
貝取 2反6畝20歩 2反6畝15歩 10 5反3畝 5歩
乞田 1反  17歩 8畝16歩 13 1反9畝 3歩
落合 4町7反3畝 5歩 8町7反8畝   21 13町5反1畝 5歩
和田 2町  6畝13歩 3町8反3畝 8歩 13 5町8反9畝20歩
一ノ宮 1反4畝12歩 2反5畝 2歩 12 3反9畝14歩
連光寺・一ノ宮 3反20歩 1反2畝   30 4反2畝20歩
和田 2反3畝20歩 2反6畝   13 6反6畝20歩
東寺方 1反7畝 10
出典:多摩市行政資料より作成。


図1―9―11 部落有財産処分の状況2・比率
出典:多摩市行政資料より作成。

 それでは次に経済更生運動の「中枢機関」とされた産業組合についてみてみよう。樹立された経済更生計画書にしたがい、多摩村は昭和九年(一九三四)三月五日に産業組合設立に関する総会を開催し、翌日その設立認可を東京府に申請する(伊野富佐次「備忘録」、東京都公文書館所蔵資料)。表1―9―8にまとめたように、このとき申請書には設立者として下野村長ほか二八名が名前を連れている。ここには役場の幹部、村の有力者、中堅クラスの中心的人物がほぼまんべんなく参加しており、村全体の合意をとりつけられず産業組合設立が挫折した大正期の状況と比べ、雲泥の差がある。
表1―9―8 産業組合設立者の一覧
氏名 地区 役職 主な経歴
下野延太郎 貝取 組合長 村長・役場書記・村会議員・農会評議員・多摩村農会総代・納税区世話掛
伊野平三 貝取 理事 村役場書記・村会議員・助役・村長・経済更生委員会・納税区世話掛
伊野米雄 東寺方 理事 農事改良実行組合長・常会員推進員・農業会理事・村会議員
佐伯律太郎 乞田 理事 村役場書記・経済更生委員会・乞田第一農事実行組合設立者理事・常会推進員・村会議員
小林利政 落合 理事 落合地区青年会幹事理事・農会総代・区長代理・落合農事実行組合長・落合第一農事実行組合長・国民精神総動員実行委員・多摩村常会推進員・農業会理事・村会議員
太田近冶 一ノ宮 理事 区長代理・在郷軍人分会班長・一ノ宮農事実行組合設立者理事組合長・国民精神総動員実行委員・村会議員
富沢清斎 連光寺 理事 村役場書記・村会議員・区長・区長代理・国民精神総動員実行委員・多摩村常会推進員
福井万吉 関戸 理事 区会議員・電灯架設委員・村会議員・農会総代・関戸農事実行組合長理事設立者・多摩村常会推進員
峰岸将弥 和田 理事 経済更生委員会・多摩村常会推進員・村会議員・農業委員
横倉仙吉 落合 監事 落合青年会幹事・農会総代評議員・村会議員・落合第五農事実行組合設立者理事・国民精神総動員実行委員・多摩村常会推進員
小林万平 関戸 監事 納税区世話掛・関戸農事実行組合設立者理事・農業会理事
杉田啓 東寺方 監事 村会議員・在郷軍人分会副会長・経済更生委員会・農会総代・東寺方農事実行組合設立者監事・国民精神総動員実行委員・多摩村常会推進員
田中政之助 連光寺 監事 農会総代・連光寺第一農事実行組合設立者理事組合長・国民精神総動員実行委員・多摩村常会推進員
内田冶助 一ノ宮 監事 一ノ宮農事実行組合設立者監事
有山周二 乞田 監事 出荷組合長・多摩村常会員推進員・村会議員
臼井恒助 百草 和田農事実行組合理事・和田第一農事実行組合設立者理事組合長・多摩村常会推進員・村会議員
金子房太郎 落合 村役場書記・助役
寺沢〓一 落合 村役場書記・青年団支部長・青年団副団長・経済更生委員会・選挙粛正実行委員・落合農事実行組合設立者理事・国民精神総動員実行委員・多摩村常会員推進員・大政翼賛会多摩村支部理事・助役・市会議員
小金豊成 連光寺 村役場書記・助役・村長・国民精神総動員実行委員
小暮仁兵衛 一ノ宮 村会議員・農会総代評議員・納税区世話掛・国民精神総動員実行委員
小磯芳三郎 乞田 村会議員・区長代理・納税区世話掛・区長・乞田第一農事実行組合設立者幹事・国民精神総動員実行委員
新倉勘七 落川 東寺方農事実行組合設立者理事・多摩村常会推進員
森久保為市 乞田
森久保芳太郎 貝取 農会総代・貝取農事実行組合設立者理事組合長・村会議員・多摩村常会推進員
杉田浦次 東寺方 在郷軍人分会副会長・村役場書記・経済更生委員会・助役・村長・国民精神総動員実行委員・多摩村常会員推進員・大政翼賛会多摩村支部理事
杉田軍平 東寺方 多摩村常会推進員・村会議員
中川晋 一ノ宮 村役場書記補・青年団支部長・青年団幹事・経済更生委員会・村町市会議員
飯島五郎 和田 村役場書記・収入役代理・収入役
出典:「設立申請書」(東京都公文書館所蔵資料)、多摩市行政資料より作成。

 この時設立された多摩村信用購買利用組合は、購買と利用、信用を事業対象としたが、のちにこれに販売が加わり、農家の経営と生活を支える重要な組織となっていった。農業生産に必要な肥料や日常生活品の共同購入が、この産業組合を通じて行われるようになった(資四―79・80)。組合への加入推進は、各部落を通じて行われていたようである。昭和十一年(一九三六)には、このためのマニュアルであると思われる「産業組合拡充部落懇談会」という冊子が配布されている(小林正治氏蔵)。しかしながらこの多摩村信販購利組合の規模は、思ったようには拡大しなかった。組合が設立した直後、昭和九年八月の時点での加入者数は、表1―9―9にみるとおりそれほど多くない。全戸数の一七パーセントほどである。
表1―9―9 産業組合の状況(昭和9年8月)
地区 組合員数 拡充目標数 総戸数
第一区(関戸・貝取飛地) 20 30 88
第二区(連光寺本村) 8 24 66
第三区(馬引沢) 6 13 29
第四区(下河原) 6 14 40
第五区(東部) 1 17 48
第六区(貝取) 13 18 39
第七区(乞田下) 8 20 56
第八区(乞田上) 5 15 43
第九区(落合下) 8 16 45
第十区(上落合) 5 23 65
第十一区(上和田・百草) 6 18 49
第十二区(中和田・並木) 4 16 46
第十三区(東寺方・落川) 15 30 85
第十四区(一ノ宮) 22 26 51
合計 127 280 750
出典:「産業組合拡充計画」(多摩市行政資料)より作成。

 また昭和十一年(一九三六)一月に開かれた第三回組合総会では、組合員数が追加も含め二七七人で出資金総額が四四四〇円、貯金総額が五四六五円四一銭、購買品額が七六五円七三銭、販売品額が三五三一円三四銭、剰余金が五三八円九八銭であることが報告されている(小林正治氏所蔵文書)。昭和九年の時点と比較すると、組合員数そのものは倍以上に増えているが、それでも村の戸数の半分にも達していない。経済更生運動の「中枢機関」として期待された産業組合であったが、この時点では期待された成果を収めるにはいたらなかった。