選挙粛正運動のゆくえ

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それでは次に、この選挙粛正運動が地域の政治状況にもたらした影響をみてみよう。まず選挙粛正運動が行われた最初の選挙となった昭和十一年の総選挙では、政民両党が依存として議席を独占、二大政党の牙城は揺らいでいないようにみえる。しかし、政友会で当選した山口久吉は、のちに昭和会にうつっており、二大政党状況は流動化へと動き始めていた。一方、この時の多摩村の得票状況には、前回選挙と比べ変動が生じている。前回総選挙の際には、村の有力者でもあった小川平吉が選挙参謀をつとめる坂本一角が圧倒的な票を集めたのに対して、昭和八年の選挙では他候補への分散が著しくなっている。無論これには様々な要因が考えられるが、選挙粛正運動のため坂本陣営が従来通りの地盤対策を十分行えなかったことも原因の一つとしてみることができる。
 さらにこの時期の三多摩の政治動向に関して注目されるのは、直接選挙粛正運動とは関係ないが、満州事変後沈滞化していた農民組合運動が息を吹き返し、社会大衆党の活動が活発になっている点である。これは農村が恐慌から脱却し、この間顧みられてこなかった小作農家の問題が、再び農村問題として浮かび上がってきたためと思われるが、昭和十一年(一九三六)秋頃から日農系、全農系両者ともに開発による農地取り上げを中心とする地主小作問題や小河内ダム建設などに関して活発に動き始める。多摩村でもこの時新たに農民組合を組織しようとする動きが現れ、昭和十二年の村会議員選挙では無産党系と目される人物が当選を果たしている(『東京日日新聞』昭和十一年五月二十七日、昭和十二年三月二十日付)。
 こうした農民組合運動の新たな展開を受け、選挙粛正運動のもと昭和十二年四月に行われた総選挙では、社会大衆党の中村高一が当選を果たし、それまで二大政党が衆議院議員を独占していた三多摩の政治状況に風穴をあけた。多摩村では、この時落選した坂本一角が巻き返し、他候補にかなりの差をつけてトップとなっているが、中村も前回比四倍の得票を集め第二位に躍進している。これは直接的には、農民組合運動の盛り上がりがもたらしたものであることは間違いないが、選挙粛正運動の影響も見逃しがたい。選挙粛正の結果、従来型の候補者に見切りをつけたかなりの有権者が、一気に中村へ流れていった可能性が非常に高い。
 こうして選挙粛正運動により大きく変貌を遂げた三多摩の政治状況は、その後昭和十二年(一九三七)七月七日の日中戦争の開始を迎え、もう一転する。二大政党のうち政友会では、落選した坂本が無産政党への対抗のための新たな組織として三多摩青年党の結成に動く(『東京日日新聞』昭和十二年六月十七日、七月十日、九月七日付)。さらに政民両党の一部からは、武藤千代松、中溝多摩吉らを中心に防共護国団結成の動きがでてくる(『東京日日新聞』昭和十三年一月十四日付)。昭和十五年の新体制運動と翼賛体制の成立を迎える以前、すでに三多摩では既成政党の枠ぐみは崩壊に向けて動きはじめていた。一方、結果的に選粛運動の恩恵を最もうける形となった社会大衆党も、日中戦争の影響に直撃される。戦争がはじまると支持基盤であった農民組合は、次々と戦争への協力を表明し、「銃後農村」建設のため農事実行組合などに転換していった(『東京日日新聞』昭和十二年八月十五日付)。このため一時息を吹き返していた農民運動は、一気に沈静化し、社会大衆党は軍部や官僚に接近、新体制運動へなだれ込んでいくことになる。
 それでは選挙粛正運動は、多摩村を含む全国の農村にどのような影響をもたらしたのだろうか。まず選挙粛正運動では、村内のあらゆる組織、団体が網羅され、これが運動推進へとかりだされた。これは経済更生運動のなかで様々な形で進められた地域、生産、社会の組織化が、行政のもとに一元的に把握されるようになったことを意味する。この点は、地域組織にもいえることで、選挙粛正運動のなかで各地域組織は、自治的な要素がほとんど切り捨てられ、行政の意向を実践する下請け機関として活用された。
 とりわけ重要なのは、この選挙粛正運動が内務省の指導のもとで行われたことである。なかでも部落懇談会など地域組織が選挙粛正運動で発揮した力に、内務省は着目する。以後内務省は、部落を基礎とした地域行政の体制を作り上げようとし、最終的にはこれが、昭和十五年(一九四〇)九月の部落会・町内会・常会の整備に関する内務省訓令となり、翼賛体制へとつながっていくことになる。この意味からすれば、選挙粛正運動はまさに翼賛体制への道を切り開く第一歩となったといえるだろう。またこの選挙粛正運動は、政治的権利と自由が制限されていく上でも大きな画期となった。選挙権という基本的な政治的権利でさえもが、運動の過程で義務へとすりかえられていった。そこでは義務観念に基づく集団への帰属意識のみが強調され、強制力だけが一方的に強化されるていくことになる。