山本の戦死、アッツ島守備隊「玉砕」の衝撃的な知らせは、「山本元帥の仇を討て」「アッツの復仇(ふっきゅう)」という米英に対する敵意をあおる言葉に変わった。戦局はこのようにますます日本にとって不利な状況となっていたが、戦争への国民の動員はいちだんと強化され、とりわけ家庭を守る女性に対しては、日常生活の引き締めがさらに求められていく。
昭和十七年二月、愛国婦人会、大日本国防婦人会、大日本連合婦人会を統合して、大日本婦人会が結成された。多摩村では、大日本婦人会の支部組織がどのようにして生まれたのかわからないが、支部の下には各地区ごとに合計四五の婦人会の班が置かれ、上意下達の機関としての性格を強めている。
昭和十七年三月には、大日本婦人会は総裁宮奉戴記念必勝国民貯蓄組合を設立し、貯蓄奨励運動を繰り広げる(千野陽一『近代日本婦人教育史』)。それを受けて、各支部には必勝国民貯蓄組合が結成され、大日本婦人会多摩村支部にも必勝国民貯蓄組合が設置される。支部ごとの貯蓄増加目標額は、前年度末の婦人会の南多摩郡町村支部長常会で指示されていた。例えば、昭和十九年度の大日本婦人会多摩村支部の貯蓄増加目標額は四万一五六〇円であるが、これは昭和十九年三月十九日の南多摩郡町村支部長常会で決められている(多摩市行政資料)。この貯蓄運動が末端にまで浸透していることは、表2―1―1の支部班別の報告書が作られていることから、うかがい知ることができよう。
表2―1―1 多摩村婦人会の貯蓄現況(昭和19年9月末現在) |
婦人会班名 | 組合員数(人) | 現在貯蓄額(円) |
関戸第一 | 17 | 675 |
関戸第二 | 18 | 756 |
関戸第三 | 19 | 776 |
関戸第四 | 22 | 837 |
関戸第五・第六 | 40 | 2,323 |
本村第一 | 26 | 720 |
本村第二 | 21 | 841 |
本村第三・第四 | 28 | 941 |
馬引沢第一・第二 | 28 | 939 |
下河原第一・第二・第三 | 51 | 1,884 |
東部第一 | 21 | 648 |
東部第二・第四 | 29 | 772 |
貝取第一 | 19 | 678 |
貝取第二 | 19 | 676 |
乞田第一 | 31 | 982 |
乞田第二 | 26 | 736 |
乞田第三・第四 | 25 | 610 |
乞田第五 | 14 | 532 |
落合第一 | 19 | 691 |
落合第二 | 26 | 781 |
落合第三 | 25 | 773 |
落合第四 | 22 | 683 |
落合第五 | 22 | 690 |
和田第一 | 23 | 933 |
和田第二 | 19 | 824 |
和田第三 | 23 | 850 |
和田第四・第五 | 28 | 975 |
東寺方第一 | 11 | 749 |
東寺方第二 | 12 | 723 |
東寺方第三 | 17 | 881 |
東寺方第四 | 14 | 686 |
東寺方第五 | 15 | 644 |
東寺方第六 | 14 | 671 |
一ノ宮第一 | 29 | 1,068 |
一ノ宮第二・第三 | 30 | 1,091 |
一ノ宮第四 | 12 | 378 |
合計 | 815 | 31,633 |
「必勝国民貯蓄組合現況班別報告書」(多摩市行政資料)より作成。 |
しかし、いくら全会員が組合員となって生活を切りつめても、目標額を達成することは難しかった。多摩村支部長がまとめた昭和十九年(一九四四)九月の貯蓄現況報告書によると、確かに貯蓄額は三万一六三三円と前年度末に比べ二倍以上増えている。だが一方、九月現在の増加額は一万九一八四円で、十九年度の増加目標額の半額にも達していなかった(多摩市行政資料)。さらに追いうちをかけるようにして、これとは別の新しい貯蓄運動も、そのつど付け加えられる。昭和十九年十一月には、台湾沖戦果感謝貯蓄運動が実施され、大日本婦人会多摩村支部には目標額として一七〇〇円が割り当てられた(多摩市行政資料)。
また貯蓄だけではなく、献納運動もさかんに行われる。例えば、昭和十九年七月には傷痍軍人へのおむつ、兵器増産のための折針、落下傘の生産にまわす衣料切符の献納が進められた(『毎日新聞』昭和十九年六月三十日付)。その結果は、表2―1―2の通りである。このほか、軍馬の飼料となる茶殻の回収(多摩市行政資料)や、火薬の原料としての古綿の回収も行われた(『毎日新聞』昭和二十年一月十八日付)。戦争遂行のために回収も拍車がかけられ、こうしてさまざまな物資に広がっていく。
町村名 | 会員数(昭和19年3月末現在) | 衣料切符(点) | おしめ(枚) | 折針(匁) |
横山村 | 678 | 1,040 | 466 | 950 |
浅川町 | 945 | 1,139 | 524 | 1,226 |
元八王子村 | 785 | 870 | 438 | 1,000 |
恩方村 | 738 | 810 | 417 | 1,200 |
川口村 | 823 | 691 | 406 | 1,210 |
加住村 | 460 | 507 | 278 | 650 |
日野町 | 2,210 | 2,863 | 870 | 2,000 |
七生村 | 608 | 623 | 430 | 755 |
由木村 | 775 | 676 | 254 | 1,000 |
多摩村 | 810 | 1,137 | 344 | 1,190 |
稲城村 | 1,014 | 1,136 | 510 | 1,014 |
こういった婦人会の活動のなかで、最も戦争への女性の動員を特徴づけていたのは国防教練といえよう。南多摩郡各町村の婦人会は昭和十九年十月に初めて、東京連隊区から出張した係官による国防教練の査閲を受けた(『毎日新聞』昭和十九年九月二十三日付)。多摩村支部でも行われ、表2―1―3のように受閲者と見学者をあわせて三五九人と、全会員の四割が参加している。「本土決戦」が叫ばれるなか、非戦闘員でも男女を問わず、実践に即応する軍事訓練に動員されていった。
町村名 | 会員数 | 査閲出場者数 | ||
受閲者数 | 見学者数 | 合計 | ||
横山村 | 678 | 231 | 100 | 331 |
浅川町 | 945 | 280 | 200 | 480 |
元八王子村 | 785 | 257 | 195 | 452 |
恩方村 | 738 | 163 | 82 | 247 |
川口村 | 823 | 95 | 140 | 235 |
加住村 | 460 | 130 | 215 | 345 |
日野町 | 2,210 | 350 | 45 | 396 |
七生村 | 608 | 117 | 25 | 142 |
由木村 | 775 | 214 | 100 | 314 |
多摩村 | 810 | 188 | 171 | 359 |
稲城村 | 1,014 | 143 | 74 | 217 |
鶴川村 | 883 | 286 | 53 | 339 |
南村 | 815 | 272 | 131 | 403 |
町田町 | 2,800 | 185 | 195 | 380 |
忠生村 | 1,010 | ― | ― | ― |
堺村 | 802 | 228 | 88 | 316 |
由井村 | 885 | 126 | 75 | 201 |
合計 | 17,041 | 3,268 | 1,889 | 5,157 |