第三指令については一一項目に分けて詳細にかつ具体的に禁止事項が記述されているが、学校内で神社参拝もしくは神道の関連事項を禁止事項としており、具体的に伊勢神宮や明治神宮の遙拝を取りやめるよう指示している。学校内における神社関係の撤去に関連して、御真影奉安殿、美霊室等についても神道的象徴として除去を命じている。さらに「国体ノ本義」「臣民ノ道」の書籍頒布の禁止に関連して、これと類似の官発行書籍論評の頒布について別途指示の見込とし、「大東亜戦争」「八紘一宇」等の用語による教授を認めず、これと類似の用語使用について検討中で、追って指示の見込みとしている(「マ司令部関係書類綴)日野市立潤徳小学校蔵)。
図2―1―7 第3指令の禁止事項
御真影奉安施設撤去については、二十一年三月二日、南多摩地方事務所長より通達があり、このことについては「既ニ実施又ハ計画中ト存候処」別紙様式により二月末日における現況報告を命じ、三月十日必着としている。
多摩国民学校にあった御真影(昭和天皇・皇后と大正天皇・皇太后)は二十一年二月六日に返還している(資四―150)。奉安殿の処分も行われていたのであろう。多摩小学校で学校行事として行われていた神宮遙拝や多摩御陵遙拝、神嘗祭の訓話等は禁止され、「学校日誌」には宗教的行事は登場することがなくなった。
第四指令が出されたのは二十年の大晦日十二月三十一日である。翌二十一年一月十九日付の通達で、東京都の次長は各学校はじめ関係機関に「修身、国史地理科授業停止ニ関スル件」を送付し、この件については「連合軍最高司令部ヨリ発スル指令ノ徹底方ニ関スル件」による措置で遺漏のないように伝えている。と同時に授業は即時停止、「総司令部ノ許可アル迄再ビ開始セザルコト」と「別紙」に確認している。
授業停止が解除になったのは最初は地理であった。二十一年九月五日付、南多摩地方事務所長より国民学校・青年学校に通知がなされた。それによると、七月六日付文部次官の通達で、地理について連合国軍最高司令部より授業再開の許可があったことを伝え、「記」として地理暫定教科書の第一分冊の印刷を終え、輸送を始めたので教科書が到着しだい授業を再開することを知らせている(「マ司令部関係書類綴」日野市立潤徳小学校蔵)。
「地理授業再開に伴ふ地図の取扱について」の通達も出されている。二十一年十月十五日の日付である。要旨は地図の配布が間にあわないため、GHQの第一の指令と第三の指令に違反しないように注意することが肝要であることを記した上で、我国の軍事的占領地や戦況等を示した地図類や、日本の国勢を誇ったような地図類は勿論使用不可能であること、日本および世界地図等は、我国の政治区画(領土)をポツダム宣言の条項にしたがって訂正を施し、中国と満州との境を地方境界に訂正したりすれば使用できる等の指示を与えている(「マ司令部関係書類綴」)。
日本歴史の授業開始は二十一年十一月二十日、南多摩地方事務所から各国民学校長・青年学校長宛に「国史の授業開始について」の通達が発せられた。それによると、連合国軍最高司令部より授業再開の許可があったので注意事項に留意して実施されたい、としている(「マ司令部関係書類綴」)。
留意点は、授業再開の条件は、文部省において編さんし連合国最高司令部の認可した教科書を使用することとしている。その教科書は、国民学校は「くにのあゆみ」上・下、中等学校用は「日本の歴史」上・下、師範学校用は「日本の歴史」上・下である。国民学校用教科書は、すでに輸送中で他は遅れる見込み、授業は教科書が到着の時点で再開すること、国民学校用の上巻は初等科五年と高等科一年、下巻は初等科六年と高等科二年で使用する、青年学校では国民学校用か中等学校用の教科書を使用すること等を指示している(マ司令部関係書類綴))。
以上、地理と国史の授業は再開されたが、修身は再開されることはなかった。それに代って公民科が登場してきた。公民科は教科・科目・時間も設けられなかったが、二十二年に六・三制の成立とともに「社会科」が新設され、地理・歴史とともに公民教育もこの中に吸収されることになったのである(文部省『学制百年史』)。
ところで、戦時中に出版された軍国主義や超国家主義的な書籍は、GHQの指令によって没収出版物に指定され、没収されていった。
その第一回目の通達日時は不明であるが、第五回目の日付は昭和二十一年(一九四六)九月二十五日となっている。この時は南多摩地方事務所長から各国民学校長宛に次のように通達されている。
出版物没収について
標記の件について連合国軍最高司令部から没収方指令にもとづいて七月十一日付発社一二九号で文部省社会教育局長から左記の通り申越がありましたから前通牒により処理されたい
標記の件について連合国軍最高司令部から没収方指令にもとづいて七月十一日付発社一二九号で文部省社会教育局長から左記の通り申越がありましたから前通牒により処理されたい
(「マ司令部関係書類綴」)
この通達の後に「記」として「没収出版目録」が「番号・書名・著者氏名・(発行年月日)・発行所」の順で列記されている。「没収出版目録」は二十二年二月十一日までに一四回出されているが、それ以後、要するに「第十四回」以後の出版没収に関する指令は学校図書の蔵書には適用されないことになった(通達二十二年四月一日「出版物没収について」)。以上のように、学校関係の没収図書は二十一年の中ごろから開始され、二十二年の一月「第十三回」までの「没収出版目録」によると三八九点におよんでいることになる。