戦災被災者への救援のための野菜(蔬菜)の出荷状況も新聞記事からうかがうことができる。昭和二十一年一月二十日の『毎日新聞』は、南多摩郡の農民が戦災者へ「続々と蔬菜の救援」を実施したことを伝えている。多摩村は五〇〇貫の蔬菜を東京都四谷区の戦災者宛に発送したという。二月二十一日の『毎日新聞』は、蔬菜を消費地に直接出荷し、市価の約半値で販売する計画を報じている。これは三多摩の各農業会の「肝煎り」によるものであり、多摩村も出荷することになっていた。
昭和二十二年八月十九日の『毎日新聞』は、東京都知事が生産者による野菜の任意出荷組合(町村単位で組織したもの)を指定したことを報じている。一年間に一〇万貫の野菜を出荷することを条件に、これらの組合は組織され、指定された。野菜の大量生産を図ることが目的であり、これらには「組合用肥料」が特配されることになった。八南地方では従来の実績を踏まえて、加住、川口、堺、忠生、多摩、鶴川、七生、八王子、日野、町田、南、由井、由木の一三市町村が指定された。町田以外の一二市町村に野菜出荷組合ができていることを、九月二十四日付の『毎日新聞』で確認することができる。この一二の組合に対して、南多摩郡地方事務所と東京都農業会南多摩支部は水害被災民の救援のため、「一市町村三〇〇貫前後の野菜を供出していただきたい」と呼びかけた。九月二十六日付の『毎日新聞』記事によると「続々と供出された」といい、多摩村からは四〇〇貫が供出された。
図2―1―11 落合青果物出荷組合集荷所(昭和30年頃)