畜産

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多摩村の農家(畜産家)は、乳牛・養豚・養鶏などの畜産にも意欲的に取り組んでいた。とりわけ、牛乳生産については熱心な畜産家がいて、明治乳業や協同乳業といった大手の乳業会社と契約し、原乳を供給していた。乳製品を製造・販売する店(横浜のアイスクリーム店との話であるが定かではない)とも密接な関係があったという。昭和三十年代になると、雪印系の昭和牛乳が貝取に工場を建設することになるが、これは南多摩郡で酪農が盛んだったことと関係があるのかもしれない。

図2―1―12 乳牛の放牧

 畜産に関する特筆すべき話題としてもう一つを挙げるとすれば、家兎の飼養ということになる(『毎日新聞』昭和二十一年七月十三日付)。東京都農業会の南多摩支部は、生産維持と戦災復興の観点から、家兎の皮革援産場の新設を計画していた。南多摩郡管内で飼育されている家兎は約五〇〇〇羽で、稲城村、恩方村、多摩村、鶴川村で最も盛んに飼われていた。戦時中の三多摩での皮革生産は年産約一万二〇〇〇枚であり、「南多摩郡は最も多く生産してゐた」という。家兎の毛と皮革は防寒用であり、戦時中は軍部専用の産品であった。戦後は、皮革用として、また、食用として、飼養することが奨励されていた。