多摩国民学校の食糧生産

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食糧増産という緊急の課題を達成するために、多摩国民学校でも農作業や開墾を行っていた。昭和二十年九月から十二月の間の『多摩国民学校日誌』には、「高等科作業」との文字をいたるところに発見することができる。昭和二十一年一月から三月までは農閑期であったためか、記されていない。初等科児童については不明であるが、高等科児童による農作業がなされていた。具体的作業内容を表2―1―8に提示する。
表2―1―8 多摩国民学校高等科作業の内容(昭和20年9月~12月)
9月 4日(火) 草刈
5日(水) 草刈ならびにそば蒔き付け
6日(木) 草刈
11日(火) 校舎営繕ならびに農場
14日(金) 校具修繕ならびに農場作業
19日(水) 校具調製、農場、校庭
20日(木) 校具調製ならびに農場
22日(土) 農場
25日(火) 永山奥開墾
26日(水) 開墾
27日(木) 開墾
10月 1日(月) 開墾
2日(火) 開墾
4日(木) 開墾
6日(土) 開墾
12日(金) 開墾
13日(土) 開墾
15日(月) 開墾
16日(火) 開墾
18日(木) 開墾
19日(金) 開墾
20日(土) 開墾地へ麦の蒔き付け
25日(木) 学校農場裏開墾開始
26日(金) 開墾
27日(土) 開墾
乙農隊作付甘藷掘り取り(高二女)
職員作付甘藷掘り取り
29日(月) 開墾地へ麦の蒔き付け
30日(火) 高等科児童本日より六分の一召集実施(乙農隊作付甘藷掘り取り)
11月 1日(木) 甘藷掘り
2日(金) 甘藷掘り取り
5日(月) 甘藷掘り
6日(火) 学校農場稲刈り
7日(水) 学校農場甘藷掘り
8日(木) 稲の脱穀(女)ならびに学校農場甘藷掘り
9日(金) 脱穀・女(学校農場)
稲刈・男(乙農隊作付地)
10日(土) 脱穀・女(学校農場)
稲刈・男(乙農隊作付地)
12日(月) 麦蒔・女(学校農場)
稲刈・男(乙農)
13日(火) 麦の蒔き付け学校農場
14日(水) 乙農隊作付地稲寄せ(降雨のため終了せず)
16日(金) 学校農場甘藷後小麦蒔き付け
17日(土) 学校下水田へ堆肥運搬
19日(月) 六分の一召集を二十五日まで延期す
水田麦蒔応援ならびに麦踏
20日(火) 堆肥積み替え
兵器庫その他整理
21日(水) 学校農場
26日(月) 下刈
30日(金) 下刈
12月 1日(土) 下刈
3日(月) 下刈
4日(火) 下刈
5日(水) 下刈
6日(木) 下刈
7日(金) 下刈ならびに永山麦畑追肥
8日(土) 下刈および追肥
10日(月) 木の葉運搬
11日(火) 下草刈
12日(水) 下草刈
13日(木) 落葉掃き
14日(金) 落葉掃き
『多摩国民学校日誌』より作成。カタカナなど表記の一部を改めた。

 昭和二十年の九月から十二月までの期間は、いわゆる「平常授業」は高等科では些少であったようだ。敗戦直後の国民学校の状況や多摩村の食糧事情については分からないことが多いのだが、多摩国民学校の児童が食糧増産の任を担っていたことを知ることができる。『多摩国民学校日誌』の昭和二十年十二月六日の項には、「児童ヨリ約二本宛ノさつまを集め戦災孤児ニ贈る」と記されている。学校全体での取り組みかどうかは定かではないが、どんぐりの集荷と出荷をしていたとの記述がある。昭和二十一年三月二十七日に一三俵のどんぐりを出荷している。学校日誌のこれらの記述から、学校を通じた供出の一端を看取することができる。