町村合併促進法と都の合併案

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昭和二十八年(一九五三)に施行された町村合併促進法は、人口八〇〇〇人以下の町村を合併して行政の簡素化と財政の安定をはかろうとしたものであり、効力三年の法律であった。
 昭和二十九年八月十九日の東京都町村合併促進審議会は、合併計画案を協議し、東京都知事あての答申を行った(『毎日新聞』昭和二十九年八月二十日付)。この都の合併案がいわゆるA案である。そのなかに、多摩村と由木村との合併案が記載されていた。この計画にもとづいて、都知事より関係各町村に計画に対する意見が諮問された(資四―208・209)。そして、九月二十二日には東京都告示第八四三号として「東京都町村合併計画」が公表された(『日野市史』通史編四)。
 多摩村では、昭和二十九年十一月の村議会の答申において、多摩村と由木村との合併という都の案に反対し、「本村としては一層規模を大きくした隣接市町村との合併を希望する」との基本的態度を表明した(資四―211)。多摩村では、もし合併するとしたならば府中市との合併や南多摩郡東部五か町村(日野町、稲城村、七生村、由木村、多摩村)の合併を望むとの声が強かったのである。由木村でも、この都の案には反対であった。結局、合併が成立しないまま、町村合併促進法は昭和三十一年(一九五六)十月に失効した。