島田療育園は「三重苦、四重苦の不自由児だけを収容して一生涯保護する」ことをめざした施設であった。新聞では、「このような不自由児の〝楽園〟は、日本ではもちろんはじめて、外国でも非常にめずらしい」と報じられている。この施設は、中央区日本橋の島田伊三郎が私財を投じてつくろうとしたものである。昭和三十二年(一九五七)四月、島田が「二七〇万円を投じて買いとったのが多摩村落合中沢地内の四万九五〇〇平方メートルだった」(『朝日新聞』昭和三十四年一月十一日付)。
昭和三十二年から昭和三十三年にかけて府中カントリークラブによる土地買収の話がもちあがった時にも、島田はゴルフ場に土地を売らなかった。施設建設をすすめようとしたのである。しかし、建設資金・運営資金を個人で準備することができなかった。その後は、昭和三十三年十一月十一日に設立された財団法人日本心身障害児協会が寄付金を募って建設していくこととなり(『朝日新聞』昭和三十四年一月十一日付)、昭和三十六年五月一日に開園した(『多摩町誌』・資四―394)。