農村としての多摩村の性格

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昭和二十八年(一九五三)七月一日、南多摩郡は農林省より湿田単作地域農業促進法に基づく地域に指定された(『毎日新聞』昭和二十八年八月十三日付)。多摩村は湿田単作地域の指定基準に該当したため、東京都によって地域指定を受けることになった。南多摩郡のなかの指定された町村は、町田町、稲城村、加住村、川口村、堺村、忠生村、多摩村、鶴川村、七生村(程久保・百草地区のみ)、南村、元八王子村、由井村、由木村、横山村の一四町村であり、指定面積は一二七七町歩である。該当地域への国家補助の率は団体営土地改良事業と同等とされ、機械揚水は五割、灌漑排水は四割、暗渠排水は三割、客土は三割、区画整理は三割、農道は二割を国が補助することになっていた。さらに、この六つの項目のそれぞれに、東京都による二割分の補助金が付加された。主食である米を確保することは至上命題であったから、これらの地域に対する米作の増産を奨励するための施策が実施されたのである。
 『毎日新聞』は、昭和二十八年九月二十日にも農業地域が設定されたことを報じている。「合理化で食糧増産に〝活〟七地域単位に打出す 推進する都の農業政策」との見出しが掲げられている。「大都市の特殊事情を生かした農業経営合理化は先ず生産の改善整備をして経営機能を高めること」が必要なので、東京都(農林経済部農政課)は「農業地域区分の設定に着眼、土性、土質などの自然条件、作付形態、経営様式などの分類」によって、七つの農業地域を設定した。多摩村は多摩川沿岸地域に指定された。以下に、七つの地域と該当区市町村を提示する。
[江東三区地域]足立区、江戸川区、葛飾区。経営農地面積は五四三五町歩。農家戸数は七七七七戸。
[区部畑作地域]板橋区、大田区、北区、杉並区、世田谷区、中野区、練馬区、目黒区。経営農地面積は六〇四三町歩。農家戸数は一万〇一一五戸。
[武蔵野畑作地域]三鷹市、武蔵野市、小金井町、国分寺町、小平町、神代町、田無町、保谷町、清瀬村、久留米村、砂川村、東村山村、村山村、大和村。経営農地面積は九八五一町歩。農家戸数は八八八二戸。
[多摩川沿岸地域]立川市、八王子市、国立町、狛江町、昭和町、調布町、日野町、府中町、稲城村、多摩村、多磨村、七生村、西府村、拝島村。経営農地面積は七三四六町歩。農家戸数は七一一九戸。
[多摩丘陵地域]町田町、加住村、川口村、堺村、忠生村、鶴川村、南村、元八王子村、由井村、由木村、横山村。経営農地面積は八三〇六町歩。農家戸数は六四五三戸。
[西部畑作地域]青梅市、福生町、瑞穂町、多西村、西秋留村、西多摩村、東秋留村、平井村、増戸村。経営農地面積は五九八六町歩。農家戸数は六六二一戸。
[西部山間地域]浅川町、五日市町、氷川町、大久野村、小河内村、恩方村、小曽木村、小宮村、戸倉村、成木村、檜原村、古里村、三田村、吉野村。経営農地面積一万五二七八町歩。農家戸数は六九六二戸。


図2―3―7 開発前の農村風景(第三小学校付近)

 一方、昭和三十六年三月に東京都が発行した『農山漁村環境整備調査報告書』では、多摩村は日野町の七生地区や町田市の鶴川地区や府中市の西府地区とともに「農村田畑地域」とされ、「交通地位条件悪く、農産物の出荷等流通面の便益の比較的悪い都市遠郊農業地帯である」とみなされていた(資四―197)。多摩村の集落数は、ここでは二四とされている。多摩村の「階層別集落数の分布状況」は、平地農村(自給的農業)五、平地農村(勤労者の多い集落)二、農山村(商業的農業)一、農山村(自給的農業)一六となっていた。
 この調査報告には、農家構成員(農家人口)の職業別就業人口も掲載されている(ここでの数値は『東京都統計年鑑』のものとは異なっている)。この時点での多摩村の農家人口は三一五七人であり、第一次産業の農業に従事する者が一五六七人、第二次産業に従事する者が六〇五人、第三次産業に従事する者が九八五人であった。農家人口に占める農業従事者の比率は約五〇パーセントであり、他地域よりも農業従事者の割合が高かった。調査報告のなかでは「都市遠郊農業地帯として性格づけられた地域である多摩、川口、瑞穂等の地域および都下の島嶼地帯に所在する元町等の地域は、交通便益が劣悪であり、他産業への就業機会が容易でないため、第一次産業に対する就業率が高く、それぞれ四五パーセント以上の高率を示している」と、まとめられている。