高度成長期における変化

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「純農村」であった多摩村は、昭和三十年頃を端緒とする高度成長期以降に不可逆的変化の過程に入る。昭和二十五年に四三二・六三町であった耕地面積は、三十五年には四〇二・五四町、四十五年には一九三・三二ヘクタールへと減少している。景観だけでなく、地域の性格や質をも大きく変貌させていく。昭和二十五(一九五〇)年から六十年(一九八五)までの総世帯数と農家戸数をみてみると、一貫して減少傾向にあることが分かる。特に多摩ニュータウン開発の宅地造成が本格化する昭和四十年(一九六五)以降の減少が著しい(表2―3―2)。
表2―3―2 総世帯数・農家数の変化
(単位:戸)
昭和25年 昭和30年 昭和35年 昭和40年 昭和45年 昭和50年 昭和55年 昭和60年
非農家を含む総世帯数 1,343 1,360 1,790 5,619 9,602 20,019 29,469 39,211
総農家数 747 699 636 590 462 321 239 249
経営耕地規模別農家数 例外規定農家 9 4 2 5 5 1
0.3ha未満 190 139 112 148 187 176 142 165
0.3~0.5ha 156 127 142 147 128 80 52 43
0.5~1.0ha 282 305 281 230 117 51 36 31
1.0~1.5ha 103 117 94 54 21 10 6 8
1.5~2.0ha 6 6 4 6 2 1 3 2
2.0~3.0ha 1 1 1 1 1
3.0~5.0ha 1 1
5.0ha以上
『農業センサス』と『東京都統計年鑑』より作成。

 専業兼業別農家数をみると、高度成長期以降、急速に兼業化が進行していることも読み取ることができる。とりわけ、多摩ニュータウン開発の進行期に、専業農家の自立が困難になった様子がうかがえる。経営耕地規模別にみると、一ヘクタール以上の経営規模を有する農家が、昭和三十五年まで一〇〇戸前後で推移していたのだが、多摩ニュータウン用地の買収が進行していく時期に、この層は壊滅への道をたどった(表2―3―2)。なお、平成二年(一九九〇)の時点で、多摩地区の市のなかで専業農家戸数が〇になっているのは、区部に隣接した武蔵野市と、横田基地のある福生市と多摩市の三市だけである。南多摩地域では、町田市で一一三戸、日野市で三五戸、稲城市で二二戸の専業農家が存在している。市域の六割におよぶ多摩ニュータウン開発が、多摩村の農業にとって、いかに打撃を与えたかがうかがわれよう。
表2―3―3 専業兼業別農家数
(単位:戸)
昭和25年 昭和30年 昭和35年 昭和40年 昭和45年 昭和50年 昭和55年 昭和60年
農家総戸数 747 699 636 590 462 321 239 249
専業農家 410 207 139 117 74 11 8 10
第1種兼業農家 173 305 207 191 96 45 22 16
第2種兼業農家 164 187 290 282 292 265 209 223
『農業センサス』と『東京都統計年鑑』より作成。

 農作物の収穫面積(昭和三十年は作付面積)をみると、昭和三十五年(一九六〇)までの収穫面積は米麦は微増、野菜類もきゅうりやほうれんそうで面積を増やすなど、堅調であった。しかし、それ以降は激減していく。丘陵部における宅地開発の進展は、多摩村の農家が蔬菜生産農家として自立することを困難にした(表2―3―4)。
表2―3―4 農作物の収穫面積(単位:昭和35年までは反、昭和40年からはha)
昭和25年 昭和30年 昭和35年 昭和40年 昭和45年 昭和50年 昭和55年 昭和60年
水稲 1,599 1,744 1,648 127 80 20 16 10
陸稲 267 563 703 50 18 4 2 2
小麦 946 1,115 1,040 71 18 4 2 2
いも類 甘藷 444 486 338 9 2 3 2 2
馬鈴薯 223 296 267 11 5 4 3 4
野菜類 なす 79 48 59 3 4 2 1 2
トマト 31 7 1 1 1 1 1
きゅうり 49 51 96 6 4 2 1 2
かぼちゃ 91 12
だいこん 184 104 83 5 3 2 2 2
ごぼう 72 45 34
にんじん 60 23 1 1 1 1
しょうが 14 38
さといも 158 73 2 1 2
ねぎ 57 53 3 2 2 3
ほうれんそう 39 86 3 2 2
はくさい 82 5 2 1 1 1
キャベツ 15 1 1 1 1 1
すいか 1 0 0 0
いちご 2 0 0 0
『農業センサス』と『東京都統計年鑑』より作成。昭和30年は作付面積。

 注目すべきなのは畜産業の推移である。畜産農家の戸数は昭和三十五年をピークに減少に転じているが、飼育数を見ると、乳用牛と豚は昭和四十年(一九六五)まで、採卵鶏は昭和四十五年(一九七〇)まで増加していた。多摩村に農業の「選択的拡大」をすすめていく条件がなかったとは決していえない。しかし、村政の基本方針が郊外住宅団地の誘致をテコに都市化を推進しようとするものだっただけに、糞尿の臭いや鳴き声の問題がつきまとう畜産業を本格的に展開することは困難だったのである。
表2―3―5 畜産農家数と飼育数
(1)農家数
(単位:戸)
昭和25年 昭和30年 昭和35年 昭和40年 昭和45年 昭和50年 昭和55年 昭和60年
乳用牛 48 61 61 37 13 5 4 2
役肉用牛(肉用牛) 163 220 151 34 11 8 3 1
67 4
63 227 131 40 9 3
めん羊 14 13 3
山羊 10 62 13 3
鶏(採卵鶏) 268 316 159 77 22 11 6
ブロイラー 1

(2)飼育数
(単位:頭)
昭和25年 昭和30年 昭和35年 昭和40年 昭和45年 昭和50年 昭和55年 昭和60年
乳用牛 51 87 97 156 108 55 37 14
役肉用牛(肉用牛) 163 228 151 34 12 14 4 2
67 38 4
86 270 764 1,352 719 120 8
めん羊 14 21 15 4
山羊 10 34 64 13 3
鶏(採卵鶏)(羽) 2,202 6,686 9,045 20,803 26,378 8,863 2,399 2,075
ブロイラー(羽) 110
兎(羽) 28
『農業センサス』と『東京都統計年鑑』より作成。