開発への村の対応

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昭和三十四年(一九五九)十二月、京王沿線開発団地の取付道路の買収について、村議会で質疑が行われた。村長は、「地主とも接渉をする際これを村道路として買収する方が地主の協力も得易いので、買収費八二〇万円を京王帝都から受理し、役場の会計を通して地主にお払いしようというものです」と説明した。
 昭和三十六年(一九六一)七月には、京王電鉄は上水道建設費用を寄付した(資四―241)。第二節でも述べたように、昭和三十七年(一九六二)には、桜ヶ丘団地建設との関係で、昭和二十五年(一九五〇)に建設された多摩村隔離病舎の敷地が京王電鉄に払い下げられた。六月二十一日、村議会は用途廃止された四五六坪の土地を京王電鉄に三三〇万円で払い下げることを即日原案可決した(資四―243)。払い下げの理由は、「この施設は桜ヶ丘団地の第三工区に属しているため、京王帝都電鉄株式会社より払下の要望強く」と説明されている(資四―243)。その払い下げで得たお金は、学校建設資金に充てられた。村議会に提出された議案には、「当村においても学校建設資金が不足し、これに充当するものである」と述べられている(資四―243)。
 京王桜ヶ丘団地には、ガス・上下水道が整備されていた。ガス供給事業は、京王電鉄の系列会社が担当している。この会社は、桜ヶ丘団地だけでなく、他地域へも供給することをめざして設立された。その抱負は、次のようなものであった。「多摩村とか百草、由木などは東京ガスの事業区域外になっているので、現状ではいつまでたってもガスの恩恵に浴せないのです。会社では、桜ヶ丘団地の建設を機にガス供給事業にも進出し、沿線町村の生活向上に大きく貢献しようというものです」(資四―238)。