広大な緑地を形成していた米軍多摩弾薬庫と府中ゴルフ場は、ニュータウン計画区域から除外された。ゴルフ場の除外について、昭和三十九年(一九六四)三月の南多摩総合都市計画策定委員会で検討された第三次案は、「開発区域内のゴルフ場は都市計画緑地に指定することを前提として除外した」と記している(東京都南多摩新都市開発本部『多摩ニュータウン開発の歩み(第一編)』)。
昭和三十九年(一九六四)五月二十八日、東京都首脳部会議は、「南多摩新都市建設に関する基本方針」を決定した(東京都南多摩新都市開発本部『多摩ニュータウン開発の歩み(第一編)』)。七月三十一日には、南多摩地域の用途地域が決定された。この時点では、多摩弾薬庫を新住区域に入れることは、当然の前提とされていた。
東京都首都整備局は、同年十月二日の多摩ニュータウンの計画決定のための審議会の「直前(二日)」、大蔵省国有財産局に招かれ、「当該地域を含めたニュータウン計画は、防衛庁計画と競合するため撤回を求められた」(資四―265)。その場には、防衛庁参事官・建設省住宅局長が同席していた。それに対し、首都整備局は「文書を以て当該地域の返還を求めた」(資四―265)。
昭和三十九年(一九六四)十月二日、都の都市計画地方審議会で都市計画決定を議決し、米軍弾薬庫と府中カントリーゴルフ場が計画から除外された。除外要請の二日後に除外を決定するという審議の迅速さが、特徴的である。この除外の決定については、同年十月十七日付けの稲城町議会の「新住宅市街地開発法に基づく住宅開発事業の決定にあたり」提出した意見書から、確認することができる。「本町における、本開発計画にあたっては、当初より旧火工廠の遊休施設の開発を第一義として要望もし期待していたものであり、東京都の事業計画中にも当地域は含まれており、我々の了承していた処であるが、今回の決定によれば同地区及び多摩カントリーの区域は除外されており、誠に遺憾である」と(多摩市議会蔵)。この意見書で、稲城町議会は「あくまで町の総合開発を望む我々の立場から、この地区を速に区域に編入して同一歩調により開発を推進すべき事を強く要望する」との立場を示した。
米軍多摩弾薬庫をニュータウン計画区域から除外した件について、翌昭和四十年(一九六五)三月五日の都議会住宅港湾委員会でのホーク基地に関する質問への答弁において、「都住宅局長は『最初の計画では、この候補地もはいっていたと聞いたが、その後一部計画を変え、いまでは計画地内には含まれていない』と答えた」(『朝日新聞』昭和四十年三月六日付)。除外の理由について、「都当局」は「米軍用地をニュータウン計画から除外したのは米軍が当分、返還できないというため」であると述べた(『朝日新聞』昭和四十年三月十二日付)。この答弁は、米軍が都の政策変更の主因であったことを公的な場所で認めたものであった。