新住宅市街地開発法

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昭和三十年(一九五五)ごろから「高度経済成長」政策が展開されるにともなって、東京、大阪をはじめとする大都市への急激な人口の集中が進み、大都市の住宅難の深刻化、大都市周辺部の宅地不足とスプロール化が大きな社会問題となった。建設省では、これに対応するために、昭和三十五年(一九六〇)に、新規に大規模宅地開発を推進する手段として宅地開発法の検討に着手し、最終的に三十八年(一九六三)七月に新住宅市街地開発法(以下、新住法と略す)の制定・施行に結実し、具体化されることになった。
 これによって、「人口の集中の著しい市街地の周辺の地域」に「住宅地の大規模な供給」(新住法第一条)をはかる事業は、土地収用権をそなえた公共事業として実施することが可能となった。多摩ニュータウン開発事業は、この新住法の適用事業として都市計画決定され、実施されたものである。
 この新住法は、大きな強制力をもって開発用地を取得していくことができる制度を備えた法であった。第一に、建設大臣は、あらかじめ土地所有者の意向を確認しないでも、大規模住宅開発の区域を都市計画として決定できることになっており(第三条)、第二に、ひとたび決定された区域内には土地収用法の適用が認められ(第一七条)、第三に、開発施行者(地方公共団体または日本住宅公団)には、先買権という、土地建物を売り主から優先的に買い受けられる権利を与え(第一五条)、第四に、農地法による転用や処分の許可手続きは、建設大臣と農林大臣の協議がなされれば、必要がないものとされていた(第四四条)。開発区域に指定されたら、たとえ所有者に土地を売る意思がなくとも強制的かつ全面的に買収できるしくみになっていたのである。
 次に、この新住法はどの程度の規模を予定していたのかを見ておこう。第三条には、建設大臣が新住法事業として都市計画決定できる要件として、「一以上の住区を形成できる規模の区域」であることと定められている。住区とは「一ヘクタールあたり一〇〇人から三〇〇人を基準として約一万人が居住できる地区」であり、逆算すると一住区の面積は三三ヘクタール(一〇万坪)ないし一〇〇ヘクタール(三〇万坪)程度の規模が想定されていたのである。このことは、六月七日の衆議院建設委員会において、前田政府委員(建設省住宅局長)も「この新住宅市街地開発法の規模は相当大規模にすることによって、宅地としての価値が大きい、こういうことから、この法律にもありますように、相当大規模の、十万坪あるいは数十万坪という大規模の住宅団地を造成することをねらっております」と明言している(『衆議院建設委員会速記録』)。法案の審議段階では、各委員は新住法を適用する開発の規模は、最大一〇〇ヘクタールの住区を数区程度形成できる程度と理解していた。ところが、のちに述べるように多摩ニュータウン開発においては、この新住法を適用しながら、そもそも法が予定していない三〇〇〇ヘクタールもの土地を開発用地に指定したのである。これによって、広大な多摩丘陵に全面買収の網がかけられた。

図2―4―15 全面買収を地権者に説明した資料