都市計画の策定へ

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では、なぜ、多摩村を中心とした地域で、これほどまでに大規模なニュータウン開発が可能だったのだろうか。これには、前節でふれた土地所有者の開発誘致の動きとともに、多摩村の都市計画策定の動きとが、密接にからんでいる。
 富沢村長は『多摩村広報』第七号(昭和三十八年一月一日付)の「新年の御挨拶」で「皆様方の御協力に依りまして我が多摩村も躍進的発展を致して参りました事は御同慶の至りに存じます」とのべた。多摩村では、この時点で人口がすでに一万一〇〇〇人を超え、さらに、造成中の団地に続々と入居者がやってくることが予想されたため、都市化に対応する施策が急務であった。村長はこの年の諸施策を説明したうえで、多摩村都市計画の樹立と環境衛生施設の拡充を急がなければならないことを強調した。
 昭和四十七年二月二十日付の『朝日新聞』(東京版・多摩)には、富沢市長(当時)の回顧談が紹介されている。
 「調べると、多摩村は都市計画にのっていない。それで、当時の都首都整備局長の山田正男さんのところへいったら、(中略)『キミ、多摩村ぐらいな所は、どんなことやっても、しょうがないよ』。まるで相手にしないんだな」
 同記事によると、富沢村長は「これがきっかけで、山田氏を知り、壮大なニュータウン構想を知った」とある。富沢村長が、多摩村都市計画を樹立しようとしているとき、東京都ではすでに多摩ニュータウン開発の構想を持っていた。南多摩地域を都市計画区域に指定することは、新住法による開発をすすめるための前提だったのである。では、多摩村の都市計画策定への動きと、新住法による多摩ニュータウン開発との関係を、以下で検討してみよう。
 多摩村が都市計画に着手したいきさつについて、富沢村長は、次のように説明した。
 「都市計画については久しく要望して居りました所、去る七月以来、東京都当局の指導に依り、南(多摩)郡中で(都市計画)未施行の多摩、由木、稲城の三町村を包含した一つの区域に(都市計画を)急速に施行するようにとの事であり、三町村長の協議の結果、これを行う事とし新たに南多摩郡東部都市計画協議会を結成してこの施行の準備に当り、各町村間で協議を進めて参りまし」た(『多摩村広報』九号、昭和三十九年一月一日付)。
 多摩村議会は、昭和三十八年九月十九日の第三回定例会で、小林一郎、小山豊吉、下田徳一の三議員を南多摩東部都市計画協議会委員に選出した。このときの審議で、富沢村長は「この計画は、都の計画に基づいて行うもので」あるとのべた。また村長は、多摩村は、首都圏整備法に基づくグリーンベルト区域、すなわち、東京駅を中心に半径一五キロから二五キロの区域の外、二五キロから四〇キロの地帯に当たり、この計画は、この地帯に「商業地帯、住宅地帯を設け、都市に人口を集中しない様にするもの」であるとも説明している。そして、「現在都下で都市計画が引かれていないのは、多摩村、稲城町、由木村の三ヶ町村だけです。最近多摩村では、大きな団地造成等住宅が建つのに都の方でも着目いたしました。そこで、この計画を進め様という事です」とだけのべている。新住法についての説明はしていない。
 また、旧都市計画法の第一条によれば、複数の町村にまたがる都市計画を定めるさいには、中心となる町村を法指定町村にしなければならないのであるが、この件については、富沢村長は、「由木村にも話しましたが、中心をどこにするかという事で問題がある訳です。由木村の方では問題がありませんが、稲城の方では議員さんの問題があります」とのべており、稲城町議会が多摩村が中心となることに反対論があることがうかがえる。さらに、「先日、この三ヶ町村長が都の方によばれ、国の方でも早く指定したいので中心になる町村を早急に定める様いわれた」とものべている(村議会会議録)。以上の経過をみると、新住法が公布・施行された昭和三十八年七月十一日以降、東京都と国(建設省)が、急ピッチで多摩ニュータウン計画への下準備を進めていたことが見てとれる。開発地域に新住法を適用するためには、それに先んじて、対象地域を都市計画指定しておく必要があったからである。新住法ができるまでは、多摩村が要望しても都市計画の指定はなかなか実現しなかった。しかし、新住法が施行されてからは東京都が強力な推進姿勢をとるようになる。
 その後、南多摩東部都市計画協議会では「九月末、多摩村を法指定町村とし、稲城、由木両町村の同意を得て三町村の全区域を多摩都市計画地域として東京都に指定を申請し」た(『多摩村広報』九号)。これを受けて、十月十一日の建設省告示で多摩村が都市計画法による指定を受けた。そして、同月十四日の都市計画審議会の審議を経たのち、十一月四日の建設省告示により、多摩村、稲城町、由木村の全域が東京都多摩都市計画区域に指定された。その理由書には「三多摩都市計画の一環として、立地条件等を同じくする多摩村、稲城町、由木村の区域をもって本案のように都市計画区域を決定し、総合的な都市計画のもとに近代都市としての発展を図ろうとするものである」とうたわれた。これにもとづき、多摩村のなかでも都市計画に関する調査が進められた。昭和四十年度には、多摩町の建設課が、詳細な資料集『多摩町都市計画一九六〇』を発行している。

図2―4―16 多摩都市計画区域図